ハーラ(英語表記)ḥāra

改訂新版 世界大百科事典 「ハーラ」の意味・わかりやすい解説

ハーラ
ḥāra

イスラム都市の街区。マハッラmaḥallaともいう。都市建設に伴う部族別の区画割や,出身地,職業,宗教などを同じくする者が,それぞれ固有の地区に住みつくことによって成立し,現代に至るまで日常生活の基本的な単位をなしてきた。ハーラの内部は中通り(ダルブ)から分かれた路地(アトファ)や袋小路(ズカーク)が曲がりくねって続き,外の大通りに通ずる二つの門(バーブ)は夜になると夜警人によって閉鎖されるのがならわしであった。そこには,町の中央モスクや市場とは別に,独自のモスク,公衆浴場(ハンマーム),市場(スーク)などがあり,民家(ダール)は大家族がいっしょに住むこともあれば,借家人が壁を隔てて同居している場合も少なくなかった。ハーラは経済的な小共同体であるばかりでなく,各地の情報はここを通じて伝達されたし,また租税徴収歩兵の臨時的な徴募もこの街区を単位にして行われた。その責任者をシャイフあるいはアリーフという。ハーラの規模は人口500程度から数千までとさまざまであったが,住民たちは互いに顔見知りの間柄であって,彼らは結婚の祝いや,願掛け・厄払いの行事にこぞって参列し,また聖者の生誕祭には笛や太鼓を先頭にして若者たちの行列が町中を練り歩いた。このような共同の社会生活の中から強固なハーラ意識が生まれ,相互扶助や弱者救済などの価値の担い手がアイヤール`ayyār,アフダースaḥdāth,あるいはシュッタールと呼ばれる任俠無頼の徒(俠客)であった。その下町気質はやがて18世紀以降のイブン・アルバラド(町の子)へと継承されていく。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーラ」の意味・わかりやすい解説

ハーラ
はーら
Hāla

生没年不詳。古代インドの叙情詩人。南インドのサータバーハナ朝アンドラ朝)第17代の王(1~2世紀ころ)で、王家の名を付してハーラ・サータバーハナとよばれる。マーハーラーシュトリーというプラークリット語で700頌(しょう)よりなる田園趣味豊かな叙情詩集『サッタサイー』の編著者。ハーラは民衆の愛唱した詩歌を、洗練された詩句に移したものと想像される。これは、一種の詞華集ともみられ、プラークリット文学独自の詩風を示した。

[田中於莵弥]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーラ」の意味・わかりやすい解説

ハーラ
Hāla

南インドのアーンドラ朝第 17代の王。1~2世紀頃在世。プラークリット語の抒情詩集『サッタサイー』 Sattasaī (『七百詩集』) の作者。

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世界大百科事典(旧版)内のハーラの言及

【インド文学】より


【プラークリット文学】
 仏教とジャイナ教は各種のプラークリット語を用いて文学作品を残したが,プラークリット語はまたサンスクリット劇において,上流階級の男子を除き婦人や下層階級の登場人物が各種のプラークリット語を用いる規定があったので,文学用語として重要であった。しかしそれ以外にも独特の文学作品を残しており,ハーラ(3~4世紀)の《サッタサイー》はプラークリット抒情詩独自の詩境を示すものとして名高い。
【仏教およびジャイナ教文学】
 仏教とジャイナ教は古代インドの思想文化史上に偉大な足跡を残したが,この両者はともに独自の宗教文学を発達させた。…

※「ハーラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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