19世紀末ごろにアメリカ南部のアフリカ系アメリカ人によってつくり出された音楽。20世紀のアメリカのポピュラー音楽におけるもっとも基本的なジャンルの一つ。その影響は、ジャズ、ブギ・ウギ、リズム・アンド・ブルース(R&B)、ヒップ・ホップ、カントリー、ロックなど、アメリカのポピュラー音楽のほとんどに及んでいる。ブルースという名は、不幸や憂鬱(ゆううつ)な気分(英語のブルー)をうたった歌に由来する。起源については諸説あるが、アフリカ系のミュージシャンがイギリスやアイルランドをはじめとするヨーロッパ系の音楽の要素を吸収しながら生み出したことは間違いない。
[北中正和]
ブルースは、1行4小節ずつで3行、計12小節からなる曲構造をもち、コード進行も決まったものが多い。歌詞とメロディは典型的なものでは、A―A―Bのように前の2行でほぼ同じフレーズを繰り返し、最後の1行で前の2行の内容を受ける形で終わる。音階にはミ(第3度)とシ(第7度)が約半音下がったいわゆるブルー・ノートblue noteが用いられる。ときにはソ(第5度)などほかの音も半音下がることがある。
ブルースの歌詞は、個人的な恋や生活の悩みを歌ったものが多いが、当初はそこに奴隷解放後も生活が楽にならなかったアフリカ系アメリカ人社会の気分が反映されていた。しかしブルースはかならずしも重苦しい音楽ではない。しばしば性的なニュアンスを含むダブル・ミーニングの強調や、機知にあふれた言い回しを使って、苦しみや悲しみを笑いとばす歌も多い。その表情は、歌い方だけでなく、ギターやピアノやブルースハープ(穴が10個ある小形のハーモニカ)などの楽器演奏によっても大きく左右される。通常4分の4拍子で演奏されるが、歌や演奏のシンコペーションが欠かせないのも特徴の一つである。
[北中正和]
ブルースの第1号ヒットは、作曲家W・C・ハンディWilliam Christopher Handy(1873―1958)の『セントルイス・ブルース』とされているが、これはブルースの要素を取り入れた流行歌だった。ブルースの初録音は女性ブルース歌手メイミー・スミスMamie Smith(1883―1946)による1920年の『クレイジー・ブルース』であった。女性歌手の録音が早かったのは、北部都市の白人中産階級向けに女性歌手が歓迎されたからだ。しかし、アフリカ系アメリカ人の間に需要があることがわかった1920年代中期からは、南部での録音も進み、ブルースはレイス・レコードrace recordという差別的な名前を冠して売られるようになった。
ブルースは、年代や地域や演奏スタイルによって、さまざまな呼ばれ方をしてきた。ベッシー・スミス、ビリー・ホリデーらがジャズ・バンドで歌ったクラシック・ブルースやジャズ・ブルース、チャーリー・パットンCharley Patton(1891―1934)、ロバート・ジョンソンRobert Johnson(1911―1938)、サン・ハウスSon House(1902―1988)らによる南部の田舎(いなか)で生まれたカントリー・ブルース、リロイ・カーLeroy Carr(1905―1935)らの洗練されたシティ・ブルース(アーバン・ブルース)、1950年代のマディ・ウォーターズMuddy Waters(1915―1983)に代表されるエレクトリック化されたシカゴ・ブルース、1960年代以降のエリック・クラプトンEric Clapton(1945― )、スティービー・レイ・ボーンStevie Ray Vaughan(1954―1990)らの白人によるホワイト・ブルースなどがあげられる。しかし、これらの呼称は便宜的なものであり、音楽の基本構造は変わらない。シカゴ・ブルースやジャズ系のバンドが演奏した、4(フォー)ビートを強調した跳ねるようなリズムのジャンプ・ブルースは、1950年代以降のリズム・アンド・ブルースやロックン・ロールの源流となった。
かつてジャズ系のミュージシャンが演奏する以外のブルースは、アフリカ系アメリカ人の下層階級の粗野な音楽とされていた。しかしロック系ギタリストがブルースに強い影響を受けた1960年代以降は、演奏者・聴衆ともに人種や階級や国境にこだわらない傾向がみられ、音楽の幅も広がった。B・B・キングB. B. King(1925―2015)のようにタキシードを着て豪華なホールに出演するのが似合うベテランから、バディ・ガイBuddy Guy(1936― )やロバート・クレイRobert Cray(1953― )のような歯切れのいい演奏を聞かせる中堅、タジ・マハールTaj Mahal(1942― )のようにアフリカにルーツを探しに行く研究肌の人まで、多様なブルースメンが活躍している。
[北中正和]
『ポール・オリヴァー著、米口胡訳『ブルースの歴史』(1978・晶文社)』▽『鈴木啓志著『ブルース世界地図』(1987・晶文社)』▽『ローレンス・コーン編、中江昌彦訳『ザ・ブルース・ブック』全2巻(1997・ブルース・インターアクションズ)』▽『湯川新著『ブルース――複製時代のフォークロア』新装版(1997・法政大学出版局)』▽『ピーター・ファン=デル=マーヴェ著、中村とうよう訳『ポピュラー音楽の基礎理論』(1999・ミュージック・マガジン)』▽『ロバート・パーマー著、五十嵐正訳『ディープ・ブルーズ』(2000・シンコー・ミュージック)』▽『カイル・チャールズ著、北川純子監訳、浜邦彦・高橋明史訳『アーバン・ブルース』(2000・ブルース・インターアクションズ)』
アメリカの化学者。オハイオ州クリーブランド生まれ。海軍予備役将校訓練課程(NROTC)の奨学金を得て、1965年ライス大学卒業。1969年にコロンビア大学から博士号を取得。大尉として海軍に戻り海軍研究試験所の研究員として勤務し、1973年にAT&T・ベル研究所に移り、「量子ドット」とよばれる、数ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)のサイズの半導体結晶が大きさによってさまざまな色を発することを発見した。1996年にコロンビア大学教授、のち名誉教授。
量子化学の分野では、物質の直径を数ナノメートルサイズまで小さくすると、電子が閉じ込められ、物質の特性が大きく変わる「量子効果」がおこることが1930年代に予測されていた。この半導体の性質をもつ粒子は「ナノ粒子」とよばれ、その量子効果を証明するナノ粒子の存在は半世紀近く、証明されなかった。
ベル研究所にいたブルースは、1982年、溶液の中で、硫化カドミウム結晶を作成中に、ナノメートルサイズまで粒径を小さくすると溶液の青みが強くなることを発見、翌1983年にその成果を発表した。条件によって電気的挙動が異なり、半導体の性質をもつこのナノ粒子を、「量子ドット」と名づけ、溶液の中に浮遊する粒子のサイズ依存量子効果を世界で初めて証明し、量子効果の理論を構築した。
実はちょうど同じころ、東西冷戦時代のソ連バビロフ国立光学研究所で研究していたエキモフは同様の現象を発見。ガラスに同じ量の塩化銅を添加して、粒径を小さくするなど作成条件を変えるとさまざまな色に発色することを確認、1981年にソ連の学術誌に発表した。しかし1984年まで西側諸国の科学者に知られることはなく、ブルースは、エキモフの論文の翻訳を読むまで、その成果を知らなかった。
1980年代後半になると、ブルースの研究室に加わったムンジ・バウェンディが、溶液の温度を高温にしたり、低温にしたり、温度調節することで、粒径がねらい通りのナノサイズになるさまざまな量子ドットを安定的に作成する手法を確立した。量子ドットが大量に製造できるようになったことで、高性能ディスプレー、太陽電池への応用が進んだほか、がん細胞の体内動態の追跡など医学への応用も始まっている。
ブルースは、2001年アービング・ラングミュア賞、2006年R・W・ウッド賞、2008年カブリ賞、2009年ウィラード・ギブス賞、2010年アメリカ科学アカデミー賞(化学部門)、2012年バウアー賞、2013年ウェルチ賞を受賞。2023年に「量子ドットの発見と合成」の業績で、バウェンディ、エキモフとともにノーベル化学賞を受賞した。
[玉村 治 2024年2月16日]
フランスの社会主義者。医師であったが、1870年代初頭第一インターナショナルに加入、弾圧を逃れてスイスに滞在中、アナキスト組織「ジュラ連盟」の論客となった。1870年代末、市議会議員選挙を利用した都市行政掌握の戦術を主張してアナキズムを離れた。1880年、フランスに帰還、1879年成立したフランス社会主義労働者党に参加したが、革命至上主義を唱えるゲードと対立、1882年の分裂を経て「フランス社会主義労働者連盟」、通称「可能派」を結成した。市議会への進出は合法的なコミューン建設の戦術と考えられ、また労働者層に有利であったところからアルマーヌらもこれに加わったが、党内で議員グループの比重が増すに伴い亀裂(きれつ)が生じ、1890年のアルマーヌ派の分離に至った。以後弱小党派を率いたブルースはジョレスに接近し、これとともに統一社会党に加わったが、徐々に社会主義の傾向を弱め、晩年これを離れた。
[相良匡俊]
イギリスの探検家。スコットランドのステアリング県カンネルドに生まれる。エジンバラ大学に学んだ。1763年アルジェリア駐在のイギリス領事となったが、1765年辞任、北アフリカにおけるローマの遺跡を探検した。1765~1768年にかけて、地中海東部のロードス島、キプロス島およびシリアを広く旅行して考古学的発掘に従事した。そのなかでレバノンのバールベックとシリアの遺跡の考古学的研究は有名である。1768年以来、ナイル川の源流の探検を行い、1770年11月14日、ついにタナ湖畔のギーシュが青ナイルの源流であることをつきとめた。1774年帰国し報告したが、彼の探検談は容易に信用されなかった。しかし、白ナイルとの合流点など、彼が最初にナイル川の全流程を探検したことに変わりはない。著書に『1768―73年におけるナイル川源流発見旅行』全5巻(1790)がある。
[市川正巳]
アメリカ黒人の伝統的大衆音楽の形式。奴隷解放ののち,南部農業地帯の黒人たちが抑圧の中で味わった個人的感情を,つぶやくように吐き出す歌として発生し,20世紀初頭にほぼ一定の形式をもつようになった。米西戦争(1898)のころからアメリカ南部にギターが普及したことが大きく関与しており,ブルースはギター弾き語りの形にまとまる中で,西洋音楽の和声構造を身につけた。標準的なブルースの定型は,A A Bの3行から成る詩を12小節に収め,各行ごとに後半でギターが歌の間に割り込む形になっている。そのギターの即興的な入り方が,即興音楽としてのジャズを生む母体になったとする学者もおり,ブルースがジャズの基盤の一つであったことはまちがいない。ミとシ(さらにソも)が,ときにブルー・ノートblue noteと呼ばれる低めの音になることに黒人音楽の特質を示す音階と和声構造はジャズの重要な素材となっている。ブルース自体はジャズの支持層よりもさらに底辺の黒人社会でダンス音楽として機能し続け,ブギウギを派生させるなど,民俗音楽から商業音楽へと性格を変えていった(社交ダンスでいう〈ブルース〉はスロー・フォックストロットのことであり,本来のブルースとは関係がない)。
南部農村から北部,東部,西部の工業地帯へ黒人労働力の移動に伴って,ブルースの基盤も都市ゲットーに重点を移し,1930年代からピアノ,ドラムスを導入してグループないしバンドの形で演奏されることが多くなり,第2次世界大戦のころには電気ギターを使うようになって,リズム・アンド・ブルースを生み,ロックの成立を促した。60年代以降,黒人大衆の社会生活や意識が大きく変わる中で,彼らにとってブルースのもっていた役割は小さくなりつつあるようである。
代表的な演奏者(ほとんどの場合作詞・作曲者を兼ねる)として,最も初期の南部のギター弾き語りスタイルのブラインド・レモン・ジェファソンBlind Lemon Jefferson(1897-1930),チャーリー・パットンCharlie Patton(1887?-1934)ら,1920~30年代にピアノを用いて都市化の先がけをしたリロイ・カーLeroy Carr(1905-35)とピーティー・ウィートストローPeetie Wheatstraw(1902-41),30年代にジャズのスウィング感を取り入れたバンド・ブルースを推進したビッグ・ビル・ブルーンジーBig Bill Broonzy(1893-1958。ギター),30年代中葉,強烈な南部の感覚の中に次代への予感を秘めつつ若死した伝説的人物ロバート・ジョンソンRobert Johnson(1912?-38。ギター),戦後の電気ギターによるブルースを発展させたティーボーン・ウォーカーT-Bone Walker(1910-75),マディ・ウォーターズMuddy Waters(1915-83),B・BキングKing(1925- ),ブルースが急速に変貌する中で洗練されない南部の感覚を強靱に保ち続けたライトニン・ホプキンズLightnin' Hopkins(1912-82)らが挙げられる。
執筆者:中村 とうよう
フランスの政治家。南フランス出身で,医学生の頃から反第二帝政運動に加わる。1872年インターナショナルに加盟し,スペイン,スイスを足場に,反マルクス陣営の先頭に立ち,フランス国内向け地下出版など非合法活動にも従事。一時はクロポトキンらと極左派アナーキストに属した。スイスを追放されてベルギーに滞在,しだいに合法路線に転換する。1880年帰国後,フランス労働党に加入し,パリで活動。82年サンテティエンヌの党大会でゲード派とたもとを分かち,多数派の〈ポシビリスト(可能派)〉,すなわち漸進主義的な改良派の指導者の一人となる。ベルギー社会主義者ドパープの思想的影響下に,選挙による地方自治体獲得と公共業務組織化を軸とした改良的社会主義への道を主張した。1890年,左派のアルマーヌ派の脱退後は,改良派の代表者となったが,影響力は低下した。彼自身,1887年パリ市会議員に初当選,同副議長にまでなり,一時は下院議員も務めた。
執筆者:福井 憲彦
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(吉沢敬)
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…13世紀末から14世紀初めにかけ,封建的上長であるイングランド王との対立が独立戦争として激化。R.ブルースは1328年スコットランドの独立を獲得した。その後ダンカンの血統が絶え,1371年ロバート2世が即位してスチュアート朝を開始。…
…Dixielandとは南部一帯をさすあだ名である。 ディキシー時代のジャズを構成した音楽的要素のなかでいちばん目だつのは,ブラスバンドが演奏していた行進曲的要素であるが,ほかに各国民謡,セミ・クラシック,ブルースblues(南部の田舎に生まれた黒人の歌。最初は一定の形式がなかったが,ジャズ発生と同時期に,4小節3段,1コーラス12小節形式を標準とするようになった),ラグタイムragtime(南部の黒人ピアニストがケークウォークcakewalkというダンスのための音楽として作曲したピアノ音楽。…
…アメリカ合衆国南部農村地帯の黒人に行われた素朴なブルース。ブルースは19世紀後半にミシシッピ州もしくはテキサス州東部の黒人たちの間で生み出され,20世紀初頭に,主としてギター弾き語りの形で南部一帯の黒人に歌われるようになったものと推定されているが,黒人人口の南部農村から北部工業都市への移動に伴って都市化していった。…
…Dixielandとは南部一帯をさすあだ名である。 ディキシー時代のジャズを構成した音楽的要素のなかでいちばん目だつのは,ブラスバンドが演奏していた行進曲的要素であるが,ほかに各国民謡,セミ・クラシック,ブルースblues(南部の田舎に生まれた黒人の歌。最初は一定の形式がなかったが,ジャズ発生と同時期に,4小節3段,1コーラス12小節形式を標準とするようになった),ラグタイムragtime(南部の黒人ピアニストがケークウォークcakewalkというダンスのための音楽として作曲したピアノ音楽。…
…ルンドゥーもハバネラも付点8分音符と16分音符を組み合わせた軽く跳ねるリズム感をもち,ポルトガルもしくはスペインの音楽にアフリカ的リズム感を加味したものと考えられるが,これがその後のラテン・アメリカの音楽の基調となったといってよく,19世紀半ばにブラジルで生まれた器楽の音楽ショーロも,19世紀末にアルゼンチンのブエノス・アイレスで生まれた踊りの音楽タンゴも,このリズムがもとになっている。また,有名なアメリカのポピュラー・ソング《セント・ルイス・ブルース》の一部にもこのリズムが使われている。1930年代以降に一世を風靡したキューバのルンバ,ブラジルのサンバといったダンス音楽も,このリズムが発展したものといえる。…
※「ブルース」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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