パーキン(読み)ぱーきん(英語表記)Sir William Henry Perkin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パーキン」の意味・わかりやすい解説

パーキン
ぱーきん
Sir William Henry Perkin
(1838―1907)

イギリスの化学者、技術者。合成染料モーブの工業的製造、パーキン反応の発見で有名。近代有機化学工業の創生期の担い手の一人。ロンドンの生まれ。王立化学学校でホフマンに学び、のちにその助手をつとめた。自宅にも小実験室をもち、種々の化学実験を行った。18歳のときに、アニリンからキニーネの合成を試みている最中、偶然に美しい赤紫色の化合物を発見した(1856)。それは新発見ではなかったが、あまりにもきれいな物質であったので、染料としての利用を考えて特許をとった。それがいわゆるモーブである。さらに彼はモーブの工業的製造を思い立ち、学校を退職してグリーンフォードに工場を建設した。製造工程は粗製ベンゼンの精製・ニトロ化・還元・酸化・精製からなり、初めての工業化が出会うさまざまな困難がそこにあった。その仕事にパーキンは、彼の技術者としての力量を大いに発揮した。これがイギリスにおける合成染料工業の始めであった。ついで1869年にはアントラセンから染料アリザリンを合成し、特許を申請した。しかしドイツ人グレーベらに1日の後れをとり、ヨーロッパ大陸における特許権の掌握に失敗した。この事実は、ドイツの合成染料工業がようやくイギリスに肉迫したことを物語るものであった。

 このあと1874年に彼は染料の製造をやめ、化学者に戻った。化学者の仕事としては、1875年に芳香族アルデヒドと脂肪酸ナトリウムに無水酢酸を作用させて芳香族不飽和酸を合成する方法(パーキン反応)を発見した。またこの方法によってサクラの葉の芳香成分であるクマリンを合成した。これは天然香料合成の先例である。さらに化合物の構造と磁場における旋光性との関係などの有機化学の重要な分野を開拓して、化学者として大成した。1906年にはモーブ発見50年祭が催され、ドイツ、フランスの化学会から賞牌(しょうはい)、イギリスからサー称号が贈られた。2人の息子ウィリアムWilliam Henry Perkin Jr.(1860―1929)とアーサーArthur George Perkin(1861―1937)も有機化学者である。

[川又淳司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パーキン」の意味・わかりやすい解説

パーキン
Perkin, Sir William Henry

[生]1838.3.12. ロンドン
[没]1907.7.14. ミドルセックス,サドベリー
イギリスの有機化学者。王立化学大学に入学し (1853) ,A.ホフマンに師事。ホフマンの助手として,キニーネの合成研究中に,染料アニリン・パープル,チリアン・パープル (モーベイン) を発見し,1856年特許を取って,最初の合成染料工業を起した (57) 。 58年,アミノ酸グリシンの初の合成に成功。ほかに酒石酸の合成 (60) ,最初の人工香料クマリンの合成 (68) ,アリザリンの合成 (69) にも成功。またパーキン反応の発見 (67) ,旋光の研究などの基礎研究も知られている。 1906年,モーベイン発見の 50周年にあたり,ナイトの称号を贈られた。ロンドン化学学会会長 (83) 。

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