改訂新版 世界大百科事典 「ヒッピアス」の意味・わかりやすい解説
ヒッピアス
Hippias
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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生没年不詳。古代ギリシアのソフィスト。ソクラテスの同時代人。ペロポネソス半島西部の町エリスに生まれる。外交使節としてスパルタなどへ赴いたと伝えられ、ギリシア人が認めた円以外の最初の曲線「円積曲線」の発見者とされている。数学、天文学、文法、詩、音楽、歴史などに通暁するとともにさまざまな手芸にもたけ、ギリシア各地を旅して名声と莫大(ばくだい)な富を得たとされるが、その姿は、プラトンの著作『大ヒッピアス』と『小ヒッピアス』に活写されている。
[鈴木幹也]
生没年不詳。古代ギリシアのアテネの僭主(せんしゅ)(在位前527~前510)。ペイシストラトスの長男。紀元前527年に父の後を継いで僭主となり、初めは父と同じく穏和な支配を行い、農産物に対する十分の一税を二十分の一税に改め、アルクメオン家など有力貴族とも和解したが、前514年に弟のヒッパルコスHipparchos(前560ころ―前514)が私怨(しえん)により暗殺されてから、暴君的支配者となった。亡命貴族はスパルタを動かし、前510年にスパルタ王クレオメネス1世はヒッピアスを追放して、アテネの僭主政を終わらせた。ヒッピアスは小アジアからペルシア王ダリウス1世のもとに逃れ、前490年にペルシア軍を案内してマラトンに上陸したが、その後まもなく死没したらしい。
[清永昭次]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(在位前527~前510)
アテネの僭主(せんしゅ)。ペイシストラトスの長男でその後継者。弟ヒッパルコスの死(前514年)後,彼の支配は暴虐となり,前510年国外に追放された。のちダレイオス1世のギリシア遠征に際し,その案内役を務めた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…訳して詭弁派ともいう。当時の代表的ソフィストは,プロタゴラス(北東ギリシアのアブデラ出身),ゴルギアス(シチリア島のレオンティノイ出身),ヒッピアスHippias(ペロポネソス半島のエリス出身),プロディコスProdikos(エーゲ海のケオス島出身)などで,このほかエウエノスEuēnos,アンティフォンAntiphōn,トラシュマコスThrasymachosらがいる。彼らの活動は国際的で,アテナイを中心に多くの都市国家をわたり歩き,主として富裕な市民家庭の子弟を相手に,金銭を報酬として教育活動を行って人気を得た。…
…在位,前519ころ‐前490年。前519年ころプラタイアイをアテナイと同盟させて,アテナイとテーバイの離間を図り,前510年アテナイから僭主ヒッピアスを追放し,前508年にはアテナイにおけるクレイステネスの政権獲得の妨害を試みて失敗した。前494年ころセペイアの戦でアルゴス軍を撃滅し,前491年ころにはペルシア帝国に帰順の意を表明したアイギナに制裁を加えたが,その過程で,従来から対立していたエウリュポン家の同僚王デマラトスを策略によって追放し,そのことが露見して亡命した。…
※「ヒッピアス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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