スイスの心理学者。ジュネーブ大学教授。ヌーシャテルに生まれる。ヌーシャテル大学で動物学を専攻したが、その後、子供の認知発達の分野に関心を向け、1921年以来ジュネーブのルソー研究所でこの分野の研究に没頭した。その研究歴は次の三つの時期に分けられる。
[滝沢武久]
子供の言語、判断と推理、世界観、因果関係、道徳判断などにおける子供の思考特有の自己中心性の研究にあてられた。幼児は社会性を欠くため、自分の考えを相手に伝達する意図のない自己中心語が多い。また、他人の観点にたつことができないため、思考も自己中心的になりやすい。アニミズムなどの幼児独得の世界観は、この自己中心性に基づいていると主張して、注目を浴びた。
[滝沢武久]
中期の研究は、乳児期の知能の起源の探究ならびに幼児・児童の基本的概念の形成の分析に向けられている。乳児の知能は、感覚運動的活動によって示されるが、生後2歳ごろまでに、この感覚運動的知能に論理構造が付与されていくし、物体の永続性の考えも身についてくる。そして、感覚運動的知能の内面化が進行していくことにより、イメージが出現し、表象的思考の段階に入っていく。この過程を、自分の3人の愛児たちの行動について、実験的に設定した場面のなかで組織的に観察することによって確証した。
また、幼児における数、量、時間、空間、速さ、偶然性などの基本的概念は、未分化で萌芽(ほうが)的なものにすぎない。これらが論理的に操作されるに至る発達の筋道を解明することも、この時期の彼の関心事であり、この研究を通して表象的思考期から操作的思考期への発達過程が分析された。操作的思考は6、7歳ごろ出現する。しかし、11、12歳ごろまでは具体物について論理的に推論することしかできないので、これを具体的操作とよび、命題だけで推論できる形式的操作と区別している。思考の発達を均衡化の過程としてとらえているが、この形式的操作はもっとも安定した均衡状態の思考とみなされる。そして、操作的思考構造を論理数学のモデルを用いて説明することによって、思考の発達のメカニズムを理論化しようと試みた。
[滝沢武久]
後期の研究は、主として発生的認識論の構築へと向かっていく。発生的認識論とは、科学的認識が発生し形成されていく過程を、個体発生および系統発生の両面から実証的に研究する科学である。この研究の集大成が、全3巻にわたる大著『発生的認識論序説』(1950)であった。しかし現代科学の認識の問題に取り組むためには、科学者たちとの学際的な共同作業を必要とすることを悟り、1956年ジュネーブ大学内に国際発生的認識論センターを創設し、各国から招いた科学者たちとチームワークを組んで、後半生の全精力をこの新分野の開拓に注いだ。これらの研究は、現代の心理学や教育学ばかりでなく、思想界全体に大きな影響を及ぼした。
[滝沢武久]
『芳賀純訳『発生的認識論――科学的知識の発達心理学』(1972・評論社/滝沢武久訳・白水社・文庫クセジュ)』▽『ボーデン著、波多野完治訳『ピアジェ』(1980・岩波書店)』
スイスの心理学者。ジュネーブ大学教授。最初,ヌシャテル大学で軟体動物学を専攻したが,その後,子どもの認知発達の研究に関心が向かって,1921年以来ジュネーブのルソー研究所でこの分野の研究に没頭し,独自の理論を構築した。彼の生涯は研究によって三つの時期に分けられる。前期(1920年代)の研究は,子どもの言語,判断と推理,世界観,因果関係,道徳判断などを対象とした研究業績で代表される。これらの研究の糸口となったのは,子どもの思考特有の自己中心性の概念であった。中期(1930年代および40年代)の研究は,乳児における知能の起源の探究および幼児・児童における認識の基本的概念(数,量,時間,空間,速さ,確率など)の発達の解明に向かった。その結果,どんな高次の認識も,その起源は乳児の感覚運動的活動にあり,これが構造化され,かつ内面化されながら,一定の順序をたどって段階的に発達していくことを明らかにした。
後期(1950以降)の研究は,発生的認識論épistémologie génétiqueの構築を目ざした一連の業績で示される。発生的認識論とは,科学的認識の発生と進化の過程を研究する学問であるが,それは,認識の個体発生に関する発達心理学的研究と,認識の系統発生に関する科学思想史的研究との協力によって可能となると彼は考えた。そこで1956年ジュネーブ大学に国際発生的認識論センターを創設し,さまざまな専門の科学者たちとともに学際的立場から,認識論上の諸問題をめぐって理論的検討と実験的分析をおこなったのである。彼の理論の特色は,認知発達を構造の概念で説明し,最初の生物学的構造から最終の論理的思考構造に至るまで,それぞれの中間の段階でそれ独自の構造を示しつつ,一連のつながりをなして移行するとみなした点にある。そしてその発達が人間の活動を媒介として実現されるとする彼独自の構造主義の立場は,現代の心理学や教育学に大きな影響を与えた。主著に《児童の道徳的判断》(1932),《知能の心理学》(1947),《発生的認識論序説》全3巻(1950)などがある。
執筆者:滝沢 武久
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…にもかかわらず論理が思考の到達すべき理想的状況を示していることは明らかである。そこでピアジェは,現代の論理数学にもとづいて思考の論理模型を作り,これを用いて子どもの思考の発達を分析した。こうして,乳児の感覚運動的知能から青年の操作的思考(論理的思考)に至るまでの機能的なつながりが解明されたのである。…
…自分自身の視点を中心にして周囲の世界を見ること。ピアジェはこれを子どもの思考の特徴として指摘した。自分以外の視点に立てないため,たとえば,自分の左右がわかっても他人の左右がわからないように,ものの客観的関係を理解することができない。…
…他方,ドイツではビューラー夫妻K. & C.Bühler,シュテルンW.Stern,ウェルナーH.Wernerらが輩出して,1940年前後から研究の発展をみた。またフランスではH.ワロンが精神医学の成果をもとり入れながら理論の体系化をはかり,ジュネーブ大学の研究所ではJ.ピアジェが発生的認識論研究の一環として児童研究を行い,今日の児童心理学に甚大な影響を与える理論の構築を進めた。ソ連でも1930年代から児童心理の研究が盛んになったが,その基礎を築いたのはL.S.ビゴツキーである。…
…彼らは全体は部分の総和以上のものであると主張し,同一刺激が同一反応を引き起こすとする恒常仮定に反対し,連合心理学以来の要素主義,機械論を否定した。とくに認識の発達を研究したJ.ピアジェの発生的認識論も,問題にされた能力は違っているが,能力心理学の伝統に位置すると考えられ,精神を全体として見る点では同じであった。精神の全体性を主張するこれらの立場は,たしかに要素主義の弱点をつくその批判において正しいが,精神が一つの全体としてある方向性をもっているという前提に立てば,その方向性はどこからくるかという問題に直面する。…
…ところがことばが獲得されてからは,対象の認識においてことばが重要な役割をはたすし,対人関係においても言語によるコミュニケーションが主たる方法ないし形態となる。J.ピアジェは主体の心理活動の基本様式を〈操作〉と呼び,操作が感覚運動的なレベルからはじまり,具体的・実際的な場面において対象に対して論理的思考を行う〈具体的操作〉を経て,具体的な場面や具体的な対象を離れても論証の形式にしたがって論理的思考を行える〈形式的操作〉へと精神発達が進むとした。またS.フロイトは性心理的機能に視点を当て,口唇期,肛門期などと続く人格発達の過程を論じた。…
…認知発達とは人間の知識や知覚,記憶,学習などの認知機構の起源とその変遷を探る領域であり,人間の知を探ることを大目標とする認知科学の中で,非常に重要で,中核的であると言ってもよい研究分野である。認知発達という領域の確立に最大の貢献をした個人はなんといってもピアジェである。ピアジェは〈認識や知能の起源は何か〉という発生認識学的興味から認知発達の研究を始め,乳児期から青年,成人期に至るまでの知能の発達的変化のメカニズムに関しての壮大な理論を打ち立てた。…
※「ピアジェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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