日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピグー」の意味・わかりやすい解説
ピグー
ぴぐー
Arthur Cecil Pigou
(1877―1959)
イギリスの経済学者。軍人の家に生まれる。ハロー校、ケンブリッジ大学キングズ・カレッジに学び、1902年同カレッジのフェロー。ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ講師、ケンブリッジ大学講師を経て、1908年、師A・マーシャルの後継者としてケンブリッジ大学の(当時ただ一人の)経済学教授に就任(~1943)。この間さまざまな政府関係委員会の委員となり、また非常に多くの著書・論文を著したが、もっとも著名なのは、第一次世界大戦前に刊行された『富と厚生』Wealth and Welfare(1912)を大幅に増補改訂した『厚生経済学』The Economics of Welfare(初版1920、第4版1932)である。同書で彼は、一般的厚生のうち直接間接に貨幣という測定尺度で測りうる部分(より具体的には国民所得によって表現しうるもの)を経済的厚生とよび、他の条件にして等しい限り、(1)国民所得の増大、(2)国民所得の分配の平等化、(3)国民所得の変動の減少は、それぞれ経済的厚生の増大をもたらすという、有名な「厚生経済学の三命題」を提示し、第三命題はのちに『産業変動論』A Study in Industrial Fluctuations(1926)に分離され、第二命題は30年代にL・ロビンズやK・G・ミュルダールによって批判されたりしたが、厚生経済学と今日もよばれている経済学の一分野を創始した。また、『失業の理論』The Theory of Unemployment(1933)は、ケインズ的意味での「古典派」の雇用理論の代表としてケインズによって手厳しく批判されたが、政策提言面では、ピグーは教授就任講演時以来、不況対策としての公共政策の有効性を説き続けており、1920~1930年代の不況時に際して失業対策としてピグーが説いたのは賃金切下げだけだった、という準定説は、事実問題として完全な誤りである。
[早坂 忠]
『篠原泰三訳『失業の理論』(1951・実業之日本社)』▽『鈴木諒一訳『雇用と均衡』(1951・有斐閣)』▽『永田清他監訳『厚生経済学(原書第4版)』全4冊(1953~55・東洋経済新報社)』▽『熊谷尚夫著『厚生経済学』(1978・創文社)』▽『T・W・ハチスン著、早坂忠訳『経済学の革命と進歩』「第6章」(1987・春秋社)』