雇用理論(読み)こようりろん(英語表記)theory of employment

日本大百科全書(ニッポニカ) 「雇用理論」の意味・わかりやすい解説

雇用理論
こようりろん
theory of employment

社会全体の雇用労働者数はどのようにして決められるかという問題に関する理論。労働者には、雇用されるか、あるいは雇用されずに失業するかの二つの状況しかないので、雇用理論を説明することは、反面では失業理論を明らかにすることに結び付く。

[内島敏之]

古典学派の雇用理論

これは経済学での伝統的理論であり、労働市場のもつ機能に全面的信頼を置く考え方である。生産物価格や賃金は、それぞれの市場における需要と供給との状態を完全に反映して上下に伸縮的に変化し、それらは完全に市場を清算する機能を有すると考えられる。このような状態のもとで、各企業は、利潤が最大になるように労働雇用量を決定する。つまり、実質賃金と労働の限界生産力とが等しくなるように、労働投入量を決定する。労働者に企業が支払う実質賃金が高い(低い)ほど、企業は労働雇用を少なく(多く)する。このような個別企業の実質賃金と労働需要との関係を経済全体について集計すると、の(1)の右下がりの労働需要曲線を導くことができる。の(1)の右上がりの曲線は、労働の供給曲線である。労働者が労働の対価として受け取る実質賃金が高ければ高いほど、労働の供給は増えるであろう。したがって労働の供給曲線は右上がりとなる。労働市場の均衡は、労働の需要曲線と供給曲線との交点Eで達成される。均衡実質賃金率Wのもとで働きたいと思う人(L人)は全員雇用されている状態、つまり完全雇用の状態を点Eは示す。実質賃金がW1であると、働きたいと考えている人の数はW1Aで、企業が雇いたいと思う人の数はW1Bであり、労働市場においてABに対応するだけ労働の超過需要が存在する。このときには実質賃金はWまで上昇する。実質賃金がW2の水準であると、CDに相当する労働の超過供給、つまり失業が存在する。しかし古典学派の考え方に従うと、このような状態のときには実質賃金は、市場を清算するようにWの水準まで下落するのである。したがって、失業が存在したとしても、やがては市場メカニズムにより失業は解消するのである。もし労働者が、実質賃金がW2以下になるのに抵抗するならば、CDに相応する失業は自発的失業である。古典学派の考えと矛盾しないもう一つの失業は摩擦的失業である。退職した人が新しい職を探す過程は時間を要し、この間、正常な労働移動に伴って必然的に、一時的・過渡的に労働者は失業するからである。

[内島敏之]

ケインズの雇用理論

市場に全面的信頼を置く古典学派の考え方は、1929年に始まった大恐慌を前にその限界をさらした。その年10月のニューヨーク株式市場の暴落契機に起こった大恐慌は、アメリカ全土はもちろん全資本主義国に波及した。その後不況は10年くらい続くが、アメリカにおいては実質GNPは最悪時の1933年には、29年の7割という水準まで落ち込み、37年になってようやく29年の水準まで回復した。雇用状況についてみると、32年のアメリカでは、失業者は1300万人近くもおり、4人に1人が失業しているという状態であった。

 大不況の真っただ中の1936年、イギリスの経済学者J・M・ケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』を発表し、大不況に対して古典学派の考え方は有効な処方箋(しょほうせん)とはならないことを明らかにした。ケインズの基本的な考え方は、貨幣賃金や生産物価格は古典学派が想定するほどには伸縮的ではない、とくにそれらは不況期には市場を清算するようになかなか下落しない、というものである。貨幣賃金や価格が下方硬直性をもつと、実質賃金も下方硬直的となる。したがっての(1)において、いま実質賃金がW2であると、失業がCDだけ存在するにもかかわらず、実質賃金は均衡を回復する水準Wに向かって下落しない。実質賃金W2の水準で失業が存在したままの状態が続くことになる。貨幣賃金や価格の下方硬直性の存在を認めるならば、古典学派のように市場メカニズムによる、経済の不況からの自動的回復能力に頼ることは無意味である。ケインズは貨幣賃金と価格の下方硬直性を前提として、大量の失業の原因を有効需要の不足に求める。有効需要の不足により、働きたいと思っている労働者が就職口をみいだすことができない非自発的失業が発生するのである。需要不足による非自発的失業をなくすためには、政府が拡張的金融・財政政策を実行すべきであると、ケインズは主張する。の(2)において、右上がりの直線DDは有効需要を所得の関数として表したものである。有効需要は、消費支出、投資支出、それに政府支出の三つから構成されており、所得が増えると増加する。生産物市場の均衡は点Aで示される。そこでは有効需要イコール所得が成立する。均衡所得はYであり、それは労働の完全雇用が成立しているならば達成されるであろう完全雇用所得YFに及ばない。所得のギャップYFYに相応するだけ失業が発生している。の(2)のギャップBCをデフレ・ギャップとよぶ。失業をなくすためには、政府が財政政策を積極的に実行することにより、有効需要をDDからD'D'へとシフトさせればよい。生産物市場の新しい均衡は点Bで達成され、均衡所得はYFに一致する。有効需要の不足による失業は解消され、完全雇用が達成される。政府が市場に積極的に介入すべきであるというケインズの考え方は、従来の古典学派の市場万能主義を全面的に覆すものであり、ケインズの業績は「ケインズ革命」とよばれる。

[内島敏之]

ケインズ以後の雇用理論

これまで代表的な雇用理論として古典学派とケインズの二つの理論をみてきたが、雇用理論はその後も目覚ましい進展を遂げている。ケインズは、貨幣賃金の下方硬直性の理論的説明を十分にしなかったが、その理論的基礎づけは現在のマクロ経済学の重要なトピックスの一つである。労働というサービスのもつ基本的特性に注目することにより雇用理論を深める研究もなされている。通常、企業は不況になったからといってすぐに労働者を解雇することはしない。企業は労働者にかなりの教育や訓練のための投資を行っており、解雇により人間資本を失うことの損失が大きいことを、企業は知っているからである。このような労働サービスの固定的要因を重視することにより、「人的資本」の理論がW・オオイやG・S・ベッカーらにより提唱された。そのほかにも重要な研究業績が数多く発表されているが、世界的規模でみられる失業の増大という現状のもとで、雇用理論の研究はいっそう深められていくであろう。

[内島敏之]

『J・M・ケインズ著、塩野谷九十九訳『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1941・東洋経済新報社)』『中谷巌著『入門マクロ経済学』(1981・日本評論社)』『R・ドーンブッシュ、S・フィッシャー著、坂本市郎他訳『マクロ経済学』全2巻(1981・マグロウヒルブック)』『根岸隆著『ケインズ経済学のミクロ理論』(1980・日本経済新聞社)』『西川俊作著『労働市場』(1980・日本経済新聞社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「雇用理論」の意味・わかりやすい解説

雇用理論 (こようりろん)
theory of employment

労働雇用量がどのように決定されるかを説明する経済理論。労働人口から雇用量を差し引いたものが失業量であるから,雇用理論は失業理論でもある。失業は現代社会の重要な経済問題であるが,それが大きくクローズアップされたのは1930年代の大恐慌の経験をとおしてである。そのときには多くの国で大量の失業者がちまたにあふれて社会不満を醸成し,ドイツではナチス政権誕生の下地をつくった。第2次大戦後には,失業率は全般的にみて比較的低く抑えられたが,時の経過とともにインフレーションが徐々に高進し,インフレ抑制策の実施にともなって失業増大の傾向が強まり,さらには,インフレと高い失業率の共存するスタグフレーションが現れた。現在では,いかにしてインフレの悪化をともなうことなく失業を減らすかが深刻な経済問題となっている。この問題の解決のためには,失業量がいかなる要因によっていかに決定されるかを明らかにしなければならないが,その任務を担うのが雇用理論である。もっとも,失業量は物価やその他の経済量と密接にからみあって動くものであるから,雇用理論といっても,労働雇用量だけを他と切り離して分析の対象とすることはできない。それはむしろ,国民経済のマクロ的な動き全体を分析の対象とするマクロ経済学の一側面であるとみるべきである。

 失業は三つのタイプに分類される。第1は,提供される雇用条件では働きたくないから働いていない状態で,それを自発的失業と呼ぶ。第2は,たえず変化する状況のもとでは求人と求職がうまく出会わず,そのためにおこる失業で,摩擦的失業と呼ばれる。第3は,提供される条件で働きたいが求人が限られているために生じる失業で,非自発的失業と呼ばれる。最近では,失業保険給付や低所得層への課税の結果,人々の労働意欲が低下し,離転職率が高まったため,第1ないしは第2のタイプの失業もアメリカなどでは重要な経済問題となってきている。その意味で,それらのタイプの失業も雇用理論の重要な対象である。しかし,比較的最近まで雇用理論が分析の主要対象にしてきたのは第3のタイプの失業であり,そのための理論は1936年に出版されたJ.M.ケインズの《雇用・利子および貨幣の一般理論》の中で,はじめて明確な形で提示された。それまでの経済理論は〈供給はそれ自身の需要をつくり出す〉というセーの法則の上に構築されており,非自発的失業の発生を説明する余地をもたなかったのに対し,ケインズはセーの法則を否定し,〈国民経済の雇用量は生産量にちょうど等しい総需要の生みだされるところに決定される〉という有効需要の原理を提唱した。その後,雇用理論は賃金・物価の動きなどを細かく考慮に入れる形で発展しているが,総需要の大きさが雇用量決定の主要因であるというケインズの考え方の妥当性は揺らいでいない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雇用理論」の意味・わかりやすい解説

雇用理論
こようりろん
theory of employment

社会全体の雇用者数 (労働者数) がいかにして決定されるかに関する問題を扱う経済理論。この理論は失業の原因は何かという問題と表裏の関係にあるため「失業の理論」とも呼ばれる。資本主義社会における失業の必然性は,K.マルクスによって資本の有機的構成の高度化に伴うものと指摘されてきたが,近代経済学においてこの問題を真正面から取上げたのは J.M.ケインズであり,雇用理論は今日ケインズの名と深く結びついている。彼は社会の総雇用量を決定するものは生産物に対する総需要の大きさであり,総需要の大きさは有効需要によって規定されているとし,資本主義経済の成熟とともに有効需要は不足し,ここに慢性的失業が発生するとした。

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世界大百科事典(旧版)内の雇用理論の言及

【雇用政策】より

…19世紀までは,失業は性格上の欠陥,勤労意欲の欠如など,個人の道徳上の問題だとされていたので,失業による生活困窮者の救済は救貧法体系のなかで,救貧院への収容,労働テストの甘受を条件とするか,個別的治療の対象となるかで,それが特別にとり上げられることはなかった。
[新古典派の雇用理論]
 20世紀になると,W.H.ベバリッジの《失業――産業の問題》(初版1909)が示すように,失業問題は産業上の問題としてとり上げられることになった。だが,この場合にも,労働市場の不完全性,すなわち労働の需要側・供給側の情報不足のために発生する摩擦失業,産業の性質上需要が季節的に変動するために生ずる季節的循環失業,経済動態の過程で起きる不況期における景気的循環失業がとり上げられ,失業対策として,求人・求職情報を集中しシステム化し労働市場を組織化し摩擦失業を減少させる職業紹介政策,および失業を保険事故とする保険的方法を採用し,失業が減少する時期における徴収保険料の余剰をもって失業多発時における失業者の喪失所得を補塡(ほてん)する失業保険制度が新たに提案された。…

※「雇用理論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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