ケンブリッジ学派(読み)けんぶりっじがくは(英語表記)Cambridge school

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケンブリッジ学派」の意味・わかりやすい解説

ケンブリッジ学派
けんぶりっじがくは
Cambridge school

1885年にケンブリッジ大学の経済学教授となったA・マーシャル創始者とし、A・C・ピグー、J・M・ケインズ、D・H・ロバートソン、J・V・ロビンソンらによって継承されていった、限界革命以降の、ケンブリッジ大学を中心とするイギリスにおける経済学の正統的学派。かつては新古典学派ともよばれたが、現在は新古典学派はより広い意味に用いられることが多い。

 マーシャルは限界主義立場にたち、価格決定論上、需要面(限界効用)にも留意しながらも、おもに供給面(生産費)の事情から価格を含む経済諸現象の解明を行った古典学派の伝統を豊かに継承し、理論面での精緻(せいち)性よりも現実問題との対応やそれへの適用を重要視するとともに、貨幣問題や長期の歴史的問題にもかなり関心を払うなど、限界革命の線上にある、ヨーロッパ大陸の当時の他の諸学派とは多分に異なった特徴をもつ経済学を展開した。彼の後継者は、側面程度に差はあれ、すべてこのマーシャル経済学の強い影響を受けている。

 ケンブリッジ学派、ことにマーシャルの経済学は、しばしば部分(均衡)分析(ないし理論)として特徴づけられ、L・ワルラスに始まるローザンヌ学派の一般(均衡)分析(理論)と対比させられているが、この部分分析という手法は、元来、マーシャルが非常に重要視した時間分析と密接不可分な関係にたっており、その点を無視して無時間の平面で、部分均衡、一般均衡の両分析を対比して相互の優劣を問うのは、どちらの分析にとっても、本来の意図との関連では公正を欠くはずである。

 マーシャルは経済学のほぼ全分野を扱い、そのかなりの部分を著書としても公刊したが、後継者たちの間では、専門領域に分業の傾向が現れた。ケンブリッジ大学経済学教授職のマーシャルの後継者(1908年以降)ピグーは、マーシャルがすでに先鞭(せんべん)をつけていた厚生経済学面でもっともよく知られ、その後継者(1944年以降)ロバートソンは、1910~20年代の著書での景気変動や貨幣問題の分析に優れ、1930年刊の『貨幣論』に至るまでのケインズはおもに貨幣問題の専門家と考えられており、第二次世界大戦前のロビンソンは1933年の『不完全競争の経済学』で知られていた。

 戦後もマーシャルの伝統にもっとも忠実だったのがロバートソンであったことは確かだが、1936年の『雇用・利子および貨幣の一般理論』でかなりマーシャルにも反旗を翻したケインズや、その線上にたつ戦後のロビンソンをケンブリッジ学派とよぶかどうかについては意見が分かれるところである。しかし、その後の両者にも、現実問題やイギリスへの強い配慮等々、マーシャルの影響がなお色濃く残っていることも事実である。

[早坂 忠]

『菱山泉著『近代経済学の歴史』(1965・有信堂)』『J・A・シュムペーター著、東畑精一訳『経済分析の歴史5』「第5章2」(1958・岩波書店)』『J・A・シュムペーター著、山田雄三訳「マーシァル」(『十大経済学者』所収・1952・日本評論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケンブリッジ学派」の意味・わかりやすい解説

ケンブリッジ学派
ケンブリッジがくは
Cambridge school

A.マーシャルを創始者とし,A.ピグー,J.M.ケインズ,D.ロバートソンらによって継承されていった,限界革命以降のイギリスの正統派経済学。限界主義の立場に立ち,価格決定論上需要面にも留意しつつ,主として供給面の事情から経済現象を解明した古典学派の伝統を豊かに継承し,理論面での精緻性よりも現実問題との対応やその解明を重視するなど,同じく限界革命の線上にあるとはいっても,当時のヨーロッパ大陸の他の諸学派とはかなり異なった特徴をもっている。しばしば部分的均衡理論 (分析) で特徴づけられているが,これはその時間分析と密接な関係をもっており,また当時の他の学派に比して相対的に長期の歴史問題に対しても関心が深い。

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