ファン・チュー・チン(その他表記)Phan Chu Trinh

20世紀西洋人名事典 「ファン・チュー・チン」の解説

ファン・チュー・チン
Phan Chu Trinh


? - 1926.3
ベトナムの愛国的改良主義者。
官界に入るが、ベトナム人官吏に対するフランス人の侮辱的態度に抗議し官界を去った。彼はベトナム人の前近代的で非合理的な慣習を批判し、それを西欧的自由主義民主主義理念のもとにつくりかえ、フランス人の良心に訴えて、ベトナム人にたいする侮辱的態度を改めさせ、独立を承認させようとした。ファン・ボイチャウの指導する維新会結成に参加後、ベトナム国内で東京義塾などの民衆啓蒙運動に献身した。東京義塾をはじめ改良主義の諸運動が弾圧された後一時逮捕され、1917年フランスに亡命。’27年帰国し同年死去した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ファン・チュー・チン」の解説

ファン=チュー=チン
Phan Chu Trinh

1872〜1926
ヴェトナムの民族運動家
クァンナム省の生まれ。科挙に合格してフエ朝廷に仕えたが,官僚腐敗に絶望,ヴェトナムの再起を促すため全国を遊説。1906年日本でファン=ボイ=チャウと会うが路線が合わず帰国。フランスのインドシナ総督ポール=ボー書簡を送って改良への協力を要請した。その後1907年ハノイにドンキン(東京)義塾を設立して,クオックグー国語)教育など啓蒙的な維新運動を推進した。しかしドンキン義塾は1908年にフランスによって閉鎖され,ファン=チュー=チンはコンダオ島に流刑となり,26年サイゴンで病死した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android