ユダヤ哲学(読み)ユダヤてつがく(英語表記)Jewish philosophy

改訂新版 世界大百科事典 「ユダヤ哲学」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ哲学 (ユダヤてつがく)

ユダヤ人はギリシア人のように厳密な意味における〈哲学〉の観念をもっていない。もちろん聖書には神,自然,人間などについて彼らの哲学的関心を示す多くの思想が見いだされる。しかし,彼らの究極的目的は,これらの諸概念を知的対象として究明することではなく,むしろそこに啓示された〈モーセ律法〉を絶対的なものとして受け取り,それをいかにして完全に実現するかという信仰的実践の問題にあったことは言うまでもない。

 ユダヤ人が最初に哲学に対する関心を示したのは,異質的な外来思想と接触し,彼らの伝統的な教えとの矛盾を感じ,それについて懐疑し始めたときからである。彼らが最初に接した外来思想はギリシア思想であるが,その影響はすでに《伝道の書》を初めとして,アレクサンドリアの一部の文献旧約外典,および偽典)に現れている。ユダヤ思想とギリシア思想との調和の問題を本格的に取り上げた最初の哲学者がフィロンである。他方パレスティナやバビロン正統派ユダヤ教においては,以上のような外来思想の影響から離れ,それ自体の内部で,いかにして〈モーセ律法〉を彼らの現実的な日常生活に適用するかという問題が,前2世紀から5世紀にかけて,律法学者や教師によって論議されてきた。この〈モーセ律法〉に関する彼らの口伝や解釈を集めたものがいわゆる〈タルムード〉である。これには4世紀末ごろに編集された《エルサレム・タルムード》と5世紀末ごろまでに編集された《バビロニア・タルムード》がある。これらはいずれも聖書と同等の価値をもつものであり,とくに後者がより完全なるものと考えられていた。

 次にユダヤ人が接した外来思想はイスラム哲学である。しかし,ギリシア思想の場合と異なり,ユダヤ教もイスラム教も同一の聖書から出発した同根の思想であるがゆえに,ユダヤ人はイスラム哲学を容易に受け入れたばかりでなく,さらにその方法を用いてユダヤ教を哲学的に基礎づけることを学んだ。その最初の哲学者がサアディア・ベン・ヨセフである。彼はユダヤ教の正統派の立場から,〈タルムード〉を否定し,聖書の原典に帰ろうとする聖書主義の運動を批判するとともに,さらに進んで神の創造性,単一性,および義などユダヤ教の根本問題の哲学的解明を試みている。次に重要なことは,ユダヤ人がイスラム哲学を通して再びギリシア哲学(アラブ化した)を学ぶ機会が与えられ,その援用によってユダヤ教の哲学的強化をはかったことである。新プラトン主義をユダヤ教に取り入れた学者はイサク・ベン・ソロモン・イスラエリIsaac ben Solomon Israeli(850ころ-950ころ),イブン・ガビロール(彼はまたアビケブロンの名で知られ,キリスト教徒といわれていた)などである。他方アリストテレス主義を取り入れた学者としてはイブン・ダウドAbraham ibn Daud(1180没),マイモニデス,レビ・ベン・ゲルソンLevi ben Gerson(ゲルソニデスGersonides。1288-1344)などの名をあげることができる。以上のほかに,中世のユダヤ思想をもっとも強く特色づけたものは,ユダヤ教の神秘説カバラの思想である。神秘思想はかならずしもユダヤ教の本流をなすものではないが,空虚な形式主義に陥りやすい律法主義に対して,その内部から新鮮な生命を吹き込み,その精神化に役だったことは大きな功績であった。その源流は古くユダヤ教の内部に見いだされるが,実際には7世紀ごろから新プラトン主義,新ピタゴラス主義,またゾロアスター教などの影響の下に形成されたといわれる。

 近世に入ってユダヤ人はヨーロッパのキリスト教諸国に居住し,その国の文化と同化する政策をとってきたが,ユダヤ思想もまた近世の啓蒙哲学の影響を受け,新たな局面を迎えた。すなわち,近世のユダヤ哲学の特色は,中世のそれと異なり,ユダヤ教の特殊性を排除し,それを普遍的な理性原理の上に確立することにあった。その最初の代表的な哲学者がM.メンデルスゾーンである。彼の後継者はドイツ観念論の哲学のなかにユダヤ教との思想的一致を見いだしている。たとえば,フォルムシュテヘルSolomon Formstecher(1808-89)はシェリングに,ラザルスMoritz Lazarus(1824-1903)やH.コーエンカントに,また,ガイガーAbraham Geiger(1810-74),ヒルシュSamuel Hirsch(1815-89)などはヘーゲルに近い立場をとっている。近代ではユダヤ精神そのものに帰って固有の哲学の展開を試みたローゼンツワイクFranz Rosenzweig(1886-1929),ブーバーなどの名をあげることができる。そのほか,ユダヤ教の枠外に立つ著名な一般哲学者としてベルグソンフッサール,またS.フロイトなどの存在も無視できないであろう。彼らの思想の根底にはユダヤ的発想が働いていることに注目すべきである。
聖書 →ユダヤ教 →ユダヤ人
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユダヤ哲学」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ哲学
ユダヤてつがく
Jewish philosophy

世界各地のユダヤ人によって行われる哲学活動の総称。前2世紀のヘレニズム世界における離散したユダヤ人 (ディアスポラ) の思想活動を出発点とする。最初のユダヤ人哲学者として,新プラトン派の影響下にモーセ五書の解釈を行なったアレクサンドリアのフィロンが知られているが,一般にユダヤ哲学といった場合,おもに中世イスラム圏でイスラム哲学の影響下に起った宗教的哲学的傾向をさす。これはユダヤ教神学にムータジラ派の教えや新プラトン主義,アリストテレスの哲学が結合したものである。サディア・ベン・ヨゼフはこの期の重要な哲学者で,ユダヤ教の教理と儀礼を合理主義的立場から論じた。ユダヤ思想に新プラトン主義を取入れる試みはイブン・ガビロルによって完成され,またアリストテレス哲学を導入した思想家としてはマイモニデスが重要である。近世ではスピノザ,M.メンデルスゾーンが,現代では M.ブーバーが思想界に影響を与えている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android