いかなる行為が犯罪を構成し,それに対していかなる刑罰が科されるかは,事前に法律で定められていなければならない,という原則をいう。
この原則の起源は,イギリスのマグナ・カルタ(1215)にまでさかのぼるとされ,のちにアメリカに伝わり,合衆国憲法に採り入れられた。そこでは,事後法の禁止と〈法の適正な手続(デュー・プロセス・オブ・ロー)〉の条項が規定されている。ヨーロッパでは,フランスの人権宣言(1789)がアメリカの影響を受けて罪刑法定主義を規定し,フランス刑法典(1810)の規定を経由して,他の国々にも伝わっていったとされている。
日本に罪刑法定主義が導入されたのは,旧刑法(1880公布)においてである。同法2条は罪刑の法定を規定し,3条1項は刑法不遡及の原則を定めていた。明治憲法(1889公布)23条は,〈日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ……処罰ヲ受クルコトナシ〉として,罪刑法定主義を憲法上の原則にまで高めた。しかし,実際においては,〈命令ノ条項違犯ニ関スル罰則ノ件〉(1890公布)により命令への罰則の広範な委任が認められるなど,罪刑法定主義の意義は限定的なものにとどまっていたのである。
戦後,現憲法(1946公布)は,罪刑法定主義の原則を再確認した。アメリカ合衆国憲法の影響の下,31条は〈法律の定める手続〉の保障を規定し,39条は遡及処罰の禁止の原則を規定している。
罪刑法定主義は,以上の沿革からもうかがわれるように,次の二つの思想・原理をその基盤としているとされる。第1は,民主主義ないし三権分立の原則である。これは,いかなる行為が犯罪を構成するかは,国民の代表で構成する議会が決定するのであり,行政府ないし裁判所にはその権限はない,とするものである。ここからは,法律主義の要請が生じ,行政府に対する関係では命令への罰則の一般的委任の禁止が,裁判所に対する関係では類推解釈の禁止がそれぞれ派生する。第2は,自由主義の思想である。犯罪に対する制裁として科される刑罰は,科される者への不利益をその内容とするから,いかなる行為が犯罪を構成するかが事前に明定されていないと,処罰の予測可能性が失われ,行動の自由がそこなわれることになる,というのである。ここからは,事後法の禁止の要請が生ずる。以上のような思想的基盤が欠如ないし弱体な社会では,罪刑法定主義は否定されるか,またはその実体は弱体化せざるをえない。戦前のドイツにおけるナチス刑法(1935公布)の下では罪刑法定主義は否定されていたし,戦前の日本においては命令への罰則の広範な委任が認められていた。
罪刑法定主義の第1の要請が,罰則は〈法律〉でなければならない(憲法31条参照)という法律主義の要請である。この要請によれば,政令等の命令には,法律がとくにそのことを委任(特定委任)した場合を除くほか,罰則を設けることはできない(憲法73条6号参照)。このことは,罰則の内容をなす規範の具体的内容を命令等の下位の法令にゆだねる白地(しらじ)刑罰法規の場合でも同様である。これと関連して,地方自治法(1947公布)14条5項は,普通地方公共団体の定める条例が,その中で罰則を設けることを一般的に許容していることが問題となる。命令より下位の法形式である条例に対する罰則の一般委任であり許されないのではないかという問題であるが,条例は,住民の代表が構成する地方議会が議決するものであるから,民主主義の要請に反するものではなく,罪刑法定主義の原理に実質的には反するものではない。また,法律主義の要請は,裁判所による罰則の創造,すなわち類推解釈の禁止を要求する。ただし,禁止される類推解釈と許容される拡張解釈の実際上の限界は微妙である(〈法の解釈〉の項参照)。
罪刑法定主義の第2の要請は,事後法の禁止,すなわち,行為後に施行された刑罰法規に遡及効を認め,施行前の行為を処罰することは許されない,という遡及処罰禁止の原則である。憲法39条は,これを憲法上の原則として承認し,刑法6条はその趣旨を法定している。
なお,最近では,単に犯罪を規定する法律が存在するだけでは足りず,さらにその内容が適正なものでなければならない,とされている(実体的デュー・プロセス)。憲法の人権規定に反する罰則は違憲無効であるが,実体的デュー・プロセスの考え方によれば,まったく無害な行為を処罰することは,憲法31条に反するとされる。また,罰則の規定が,あいまい,不明確では,いかなる行為が犯罪を構成するか不明確となり,行動の自由が害されるから,憲法31条に違反する。最高裁判所は,これに関連して,徳島市公安条例事件では,〈通常の判断能力を有する一般人〉を明確性判断の基準とする立場を示している。さらに,罪刑の均衡を明確に失している場合にも,憲法31条の違反を構成しうる,とされている。
執筆者:山口 厚
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犯罪として処罰するためには、何を犯罪とし、これをいかに処罰するかをあらかじめ法律により明確に定めておかなければならない、という近代刑法上の基本原則。これに対し、罪刑を法執行者の専断にゆだねる考え方を罪刑専断主義という。近代刑法学の父とよばれるフォイエルバハは、この原則を「法律がなければ犯罪はなく、刑罰もない」Nullum crimen, nulla poena sine legeという標語により適確に表現している。この罪刑法定主義の原則は、沿革的には、1215年のイギリスにおけるマグナ・カルタ(第39条)に由来するものとされるが、これが近代市民法の原理として確立したのは、その後の権利請願(1628)や権利章典(1689)であった。この原則は、新大陸アメリカに渡り、フィラデルフィア宣言(1774)やバージニアの権利宣言(1776)に盛り込まれ、アメリカ合衆国憲法でも「何人(なんぴと)も、法律の適正な手続due process of lowによらなければ、生命、自由、または財産を奪われない」(修正第5条)と規定されるに至った。また、ヨーロッパ大陸では、フランス革命期の人権宣言(1789)でも、「何人も、犯罪の前に制定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ、処罰されない」(第8条)と表明され、1810年のナポレオン刑法典第4条にも明言されている。
わが国では、フランスのナポレオン刑法典を範とする旧刑法(1880)が「法律ニ正条ナキ者ハ何等(なんら)ノ所為ト雖(いえど)モ之(これ)ヲ罰スルコトヲ得ス」(第2条)と規定して、罪刑法定主義を採用することを明言しており、明治憲法にもこの原則を採用する旨の規定(第23条)が存在した。これに対し、現行刑法(1907)や戦後の日本国憲法には、この原則を採用する旨を明言した規定は存在しないが、むしろ、当然の前提とされているといえよう。ただ、現行憲法は、アメリカ合衆国憲法の修正第5条(適正手続条項)を範として、その第31条が「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若(も)しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定している(なお、第39条には後述する事後法禁止の規定がある)。
ところで、罪刑法定主義につき、その思想的根拠に関連して、大きく次の二つのとらえ方がある。民主主義的要請としての罪刑法定主義と、自由主義的要請としての罪刑法定主義がそれである。まず、近代啓蒙(けいもう)思想、とくに当時の社会契約説や三権分立論を思想的根拠として、イタリアのベッカリーアは、国家刑罰権の根拠を社会契約に求め、議会のみが刑罰法規を立法する権限をもち、裁判官の立法や解釈をする権限を強く否定している。ベッカリーアにおいては、罪刑が社会契約(「社会の総意」「国民の意思」ともいう)に基づく必要があるという立場から、罪刑法定主義を主張したのである。この意味で、ベッカリーアは、罪刑法定主義の根拠を、今日的表現に従えば、「民主主義」に求めたのである。これに対して、フォイエルバハは、人間は快を求め不快を避けるという合理的(功利的)人間像を前提として、あらかじめ法律において、犯罪により得られる快よりも、犯罪に対する刑罰による不快のほうが大であることを定めておけば、人々は犯罪を犯さなくなると主張した。このような考え方は心理強制説(または平衡説)とよばれ、前述した罪刑法定主義に関する標語もここに根拠を置くものであった。このように、フォイエルバハは、罪刑法定により市民に対し予測可能性を担保しようとするものであり、国家刑罰権に対しては、市民の行動の自由を保障する機能を有する。この意味において、フォイエルバハの罪刑法定主義は、自由主義的要請に基づくものといえるのである。以上のような罪刑法定主義に関する二つの理念型を想定する場合、これらの二つの型はかならずしも矛盾するものではなく、むしろ両者を統一する考え方が必要であろう。
このような罪刑法定主義から次のような派生的原則が導き出される。伝統的な派生原則として、(1)慣習刑法排除の原則、(2)類推適用禁止の原則、(3)事後法禁止または刑法不遡及(ふそきゅう)の原則、(4)絶対的不定期刑禁止の原則、があげられてきた。さらに最近では、アメリカでの「明確性の理論」に基づき、刑罰法規の明確性を要求する考え方が広く支持され、同じくアメリカの「実体的デュー・プロセスsubstantive due process」の理論を前提に、刑罰法規の内容そのものについても、罪刑の均衡をはじめ処罰の実質的な合理性を要求する見解が主張されている。わが国では、実定法的には、刑罰法規が明確性を欠いたり、合理的処罰根拠を有しない場合には、当該刑罰法規が憲法第31条の規定する適正手続条項違反となり、違憲と判断されることになる。
[名和鐵郎]
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…旧刑法は,1810年のフランス刑法典を母法としていたが,ボアソナードが支持した新古典主義刑法理論の立法化の試みでもあった。その旧刑法は,罪刑法定主義の宣言,犯罪の成立に故意,過失,責任能力を要求することによる責任主義の採用,刑罰の身分上の差別的取扱いの廃止などの点で,近代的刑法典としての性格を示していた。旧刑法は,その施行後まもなく,90年ころから,資本主義の急激な発展にともなう犯罪の増加現象を背景に,ヨーロッパに新たに台頭した新派理論を学んだ論者(富井政章)によって,〈寛弱〉にすぎ犯罪対策として無力であるという批判をうけるようになる。…
…たとえば,姦通は現行刑法上〈構成要件〉に該当しないから犯罪ではない。このように〈構成要件該当性〉を犯罪の第1の成立要件とすることは,法政策的には,〈法律なければ犯罪と刑罰なし〉という罪刑法定主義の要請と結びついている。 〈構成要件〉の理論的性質をどのように理解するかについて,学説は多岐に分かれているが,違法行為の類型であるという見解,あるいは,違法・有責行為の類型であるという見解が有力である。…
…そのためにも,犯罪と刑罰を刑法典に規定し,国民にあらかじめ知らせておくべきであるという。そこで,彼は刑法の最高原則として〈法律なければ犯罪なし〉〈法律なければ刑罰なし〉という罪刑法定主義を主張した。彼はこの原則に従って,法と倫理を区別し,客観主義的刑法理論を打ち立てた。…
※「罪刑法定主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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