フンパーディンク(読み)ふんぱーでぃんく(英語表記)Engelbert Humperdinck

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フンパーディンク」の意味・わかりやすい解説

フンパーディンク
ふんぱーでぃんく
Engelbert Humperdinck
(1854―1921)

ドイツの作曲家。ケルン音楽院でF・ヒラーに、ついでミュンヘン王立音楽学校でラインベルガー師事。1890年、イタリア旅行中にワーグナーと出会い、彼の依頼でバイロイトに赴き、『パルジファル初演のための助手をつとめる。その後、バルセロナ、ケルン、フランクフルト・アム・マインなどで作曲教師、音楽批評家として活躍。93年、ワイマールにおいてR・シュトラウスの指揮で初演されたオペラ『ヘンゼルとグレーテル』は好評を博し、同年中に50を超える歌劇場で上演された。この童話オペラは、ワーグナーの楽劇の手法を取り入れ、親しみやすい民謡風の旋律を用いて書かれており、現在でも演奏される機会は多い。そのほかオペラ『不本意な結婚』(1905)、同『王様の子供たち』(1910)、シェークスピアメーテルリンク戯曲のための付帯音楽が知られている。

[寺田兼文]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フンパーディンク」の意味・わかりやすい解説

フンパーディンク
Humperdinck, Engelbert

[生]1854.9.1. ジークブルク
[没]1921.9.27. ノイシュトレーリッツ
ドイツの作曲家。ケルンとミュンヘンの音楽院に学び,1879年メンデルスゾーン賞によってイタリアへおもむき,80~82年にはワーグナーの助手としてバイロイトで働いた。 85~87年はバルセロナ音楽院で作曲の教鞭をとり,90年フランクフルトアムマインの音楽院で教え,同時に『フランクフルト・ツァイトゥンク』紙のオペラ批評家としても活躍。 1900~20年ベルリンの音楽学校作曲科の主任。主作品は 1893年初演のオペラ『ヘンゼルとグレーテル』ほか劇音楽,合唱曲歌曲管弦楽曲,ピアノ曲など。

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