日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブライト」の意味・わかりやすい解説
ブライト(Gregory Breit)
ぶらいと
Gregory Breit
(1899―1981)
アメリカの物理学者。ニューヨーク、ウィスコンシン、エールの各大学教授を歴任した。1925年、電離層の研究に対しての有力な手段となったパルス変調法をチューブMerle A. Tuve(1901―1982)らとともに考案し、さらに陽イオン加速用の電源として使用するためのテスラ・コイルの開発に取り組んだ。1929年には二電子系の相対論的な波動方程式に近似するブライト方程式を提出した。さらに原子核物理学の研究を進め、1937年複合核の仮想的なエネルギー準位の共鳴を考える共鳴公式をウィグナーと独立に発表した(ブライト‐ウィグナーの公式)。
[小林武信]
ブライト(John Bright)
ぶらいと
John Bright
(1811―1889)
イギリスの政治家。ロッチデールの綿工場主の家に生まれる。クェーカー教徒で、1843年に国会議員に初当選、以来生涯を改革的な議員として通した。非国教徒としての立場から国教的な宗教制度に反対するとともに、綿工場主の利害を代表し、自由放任主義を主張、コブデンとともにマンチェスター学派を代表する人物となった。その活動範囲は自由貿易の拡大、財政、土地制度、宗教制度の改革、クリミア戦争に対する反対、アメリカ南北戦争の際の北軍への支持、エジプトに対する軍事干渉への反対などの多方面に及んだが、なかでも反穀物法同盟の指導者として同法を廃止に導いた(1846)ことで知られている。
[岡本充弘]
ブライト(Richard Bright)
ぶらいと
Richard Bright
(1789―1858)
イギリスの内科医。エジンバラ、ケンブリッジ両大学で医学を修め、1816年にロンドンの医学校で学位をとった。ロンドンで開業し、4年後からガイ病院の助手を勤め、1824年、正式に同病院の医員となった。タンパク尿と浮腫(ふしゅ)を有する疾患が腎臓(じんぞう)の病変によることを、臨床症状と剖検によって確かめ、1827年にその24例を報告した。以後、腎炎の研究を続けて、本症を詳しく分類記載したので、「ブライト病」「ブライト症候群」の病名が用いられるようになった。
[古川 明]