フランスの劇作家J.ラシーヌの第5作。5幕の韻文悲劇。初演は1669年12月,ブルゴーニュ座。悲劇《アンドロマック》(1667)の驚異的成功によって新進悲劇詩人としての地位を築いたラシーヌであるが,大コルネイユを中心とする旧世代からは,甘い恋愛悲劇しか書けぬ詩人という批判が絶えなかった。《ブリタニキュス》は,素材をタキトゥス《年代記》によるローマ史に取り,政治悲劇としてコルネイユ以上にコルネイユ的悲劇を書くことによって,そのような批判に応じようとした作品である。
主題は,青年皇帝ネロン(ネロ)が,3年にわたる善政の仮面を捨てて暴君としての正体を現す悲劇的な一日を扱う。そのような〈怪物の誕生〉に至る権力闘争の劇に加わるのは,権勢欲の権化であり,ネロンを自分の軛(くびき)のもとに縛りつけておこうとする母后アグリッピーヌ(小アグリッピナ)であり,かつては権力の座にありながらアグリッピーヌにより失脚させられ,今やネロンの秘密の腹心として青年皇帝を悪へと誘惑する解放奴隷ナルシスであり,また,青年皇帝の後見役として,アグリッピーヌに対してのネロンの自立をはかることで逆に〈怪物の誕生〉に手を貸すことになる武将ビュリュスである。ネロンが暴君=怪物としての正体を現すきっかけとなるのは,アウグス帝曾孫のジュニー姫に対する突然の欲望であり,姫と相思相愛の先帝の皇子ブリタニキュス(ブリタニクス)との仲を裂いて姫を所有しようとする策謀が一応は劇の主筋をなす(ブリタニキュスが悲劇の表題となっているのは,受苦(パトス)の主人公としてである)。しかし葛藤の真のレベルは,母后と青年皇帝の権力への欲望にあり,それは他のラシーヌ悲劇における恋の情念と同質の,絶対的で宿命的な情念である。ブリタニキュス逮捕を見てジュニー姫はウェスタの斎女(いつきめ)に加わる決意をするが,この意志は権力への欲望の劇に〈聖なるもの〉の次元を導入する。ネロンは自らの自由を,欲望を,ローマの神聖な権利と同一視することで,その神聖な権利によって断罪されるのだ。
ラテン語にならった輪廓の鮮明で硬質な,力強く男性的なフランス語の詩句が,あるいは高貴に,あるいはむき出しの形で,情念としてのこの権力闘争の劇を担う。ラシーヌ悲劇の中でも最も精緻・綿密に書き込まれた傑作であるが,初演時には,コルネイユ派の妨害があって,その舞台上演は成功とは言えなかった。しかし以後,《フェードル》《アンドロマック》と並んで上演頻度の高い作品となり,20世紀に入ってからの演出上の新解釈も多い。
執筆者:渡辺 守章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新