タキトゥス(読み)たきとぅす(英語表記)Publius Cornelius Tacitus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タキトゥス」の意味・わかりやすい解説

タキトゥス
たきとぅす
Publius Cornelius Tacitus
(55/56―?)

ローマ帝政期の政治家、歴史家。属州のベルギカ(現ベルギー)に生まれたが、幼年期をローマに過ごし、学芸修得に努めた。ウェスパシアヌス帝の治下で軍団付高級将校となり、公人としての第一歩を記した。77年結婚。81年ごろ財務官に選ばれ、同時に元老院議員となる。護民官を経て88年法務官となり、97年コンスル(統領)に選ばれた。112~113年属州アシア総督として小アジアに赴く。没年は正確にはわからない。

 彼は、政治家として位階を上り詰めるかたわら多くの著作を書いた。共和政末期に弁論術が衰退した原因を述べた『対話』については、彼の筆になるものか否か論争がある。続いて93年に没した岳父の伝記アグリコラ』を98年に著す。この書物は、属州ブリタニア(現イギリス)の民族、風土、習俗について多くの情報を現代に伝えている。同年ゲルマン人の習俗を紹介した『ゲルマニア』を出版。ここでは蛮族とさげすまれている民族のなかに質実剛健で高潔な精神が息づいていることを明らかにし、退廃極みにあった同時代のローマ人に警鐘を鳴らしている。ついで2世紀初めに大作『同時代史』を著す。ネロ帝の自殺(68)後から五賢帝時代の始まりまでの28年間を扱ったこの作品はごく一部が伝わるにすぎないが、帝位をめぐる醜い争いを余すところなく描き、支配者の悪徳を暴露している。最後の史書年代記』は、ティベリウス帝からネロ帝までの50年余の事件を綴(つづ)っている。著述にあたり、元老院議事録、各種の告示などを刻んだ碑文のほか、彼以前の歴史書を参照している。用いた史料間の矛盾に言及することは少ないが、ある程度史料の吟味もなされ、それなりに批判的に摂取している。

 彼の理想は共和政期の「自由な」国制であって、元首政とは相いれない。唯一人に権力が集中する元首政下では、支配者は慢心し、被支配者はへつらいと隷従に堕してしまい、もっともウィルトゥス(徳、勇気)を示さなければならぬ元老院議員ですら元首におもねるばかりの嘆かわしい状態となる、と説く。彼は軟弱に堕していくローマをとらえ、これとの対比のうえで純粋・素朴の気風を保っている周辺諸部族を眺めており、その筆はしばしば辛辣(しんらつ)な風刺や皮肉に満ちている。第一級の歴史家であったが、その史書は広く読み継がれたとはいいがたく、『年代記』の1~6巻まではただ1種類の写本しか伝わっていない。

[田村 孝]

『国原吉之助訳『年代記』全2冊(岩波文庫)』『泉井久之助訳註『ゲルマーニア』(岩波文庫)』『国原吉之助訳『世界古典文学全集22 タキトゥス』(1983・筑摩書房)』

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