改訂新版 世界大百科事典 「ブラバント」の意味・わかりやすい解説
ブラバント
Brabant
ベルギー中部,北部からオランダ南部にかけての地方。フランス語ではブラバンBrabant。中世に神聖ローマ帝国最西端の領邦ブラバント公領をなした。現在はベルギーのブラバント州とアントワープ(アントウェルペン)州,オランダの北ブラバント州から成る。フランス語地帯に属するベルギーのブラバント州の南半分およびフランス語とオランダ語を公用語とするブリュッセル以外は,オランダ語を用い,オランダ領も含め住民の大部分はカトリック。南部は標高160mほどで丘陵に富み,北端は海面水準に近い。数ヵ所に残る大森林を除いて中規模の集約的な農業が行われ,穀物,テンサイ,園芸作物の栽培と並んで,ことに北部では牧畜が盛ん。工業化の進展は著しく,南部ではブリュッセルを中心に北はアントワープ,南はシャルルロアに向かって延びる工業地帯,北部ではス・ヘルトーヘンボス,ブレダ,ティルブルフ,エイントホーフェンなどの都市で金属工業,化学工業,繊維工業,食品工業などが行われる。ほかにも人口10万以下の都市が多数あり,都市化の度合が高い。鉄道,運河,自動車道路による交通網も発達し,ベルギーの中心地帯をなすだけでなく,ヨーロッパ共同体(EC)本部などの国際機関が置かれたブリュッセルを擁して,ヨーロッパの中枢の一つをなす。
すでにローマ期にかなり開発が進められたが,中世にはフランク王国分裂後,低ロタリンギア(ロタール領)の一部をなした。ついで1000年ごろから地域的政治単位としてのまとまりを見せ,南部に勢力拠点(ルーバン,ブリュッセルら)を持ちながら,北はムーズ川下流まで延びたブラバント公領に成長する。同領邦は,フランドル伯領やリエージュ司教領など近隣の諸領邦,さらに神聖ローマ帝国,フランス王国,イギリス王国などとの政治的角逐のうちで地位を確保し,内部では著しい都市の発達を見せ,貴族,聖職者および市民の要求によって,ブラバント公の恣意的権力行使が早くから制限された。すなわち14世紀には《コルテンベルフ憲章》(1312)や《歓呼の入市Blijde Inkomst》憲章(1356)などで,住民の自由や課税協賛権が定められた。15世紀後半ブルゴーニュ公国によるネーデルラント統一によって,その有力な構成要素となったころから,アントワープが北部ヨーロッパの商業と金融の中心地となり,その他周辺の諸都市でも〈ブラバントの大市〉が繁栄した。その後ハプスブルク家に支配権が移り,ついで,オランダ独立戦争に際して北部が分離された。フランス革命後フランス領となった際に現在の州境が確定され,1815年からはオランダ領となる。1830年のベルギー独立戦争ではこの地方が中心となり,現在のベルギー国歌は《ブラバント人の歌La Brabançonne》と呼ばれる。
→オランダ →ベルギー
執筆者:森本 芳樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報