日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルーネル」の意味・わかりやすい解説
ブルーネル(Isambard Kingdom Brunel)
ぶるーねる
Isambard Kingdom Brunel
(1806―1859)
イギリスの土木・造船技術者。M・I・ブルーネルの息子。ポーツマスに生まれ、パリに留学。1823年帰国して父の下でテムズ川底トンネル建設に従事。1833年にはロンドン―ブリストル間の「大西部鉄道」の技師長となり、4.85フィート(約1.5メートル)の軌道を7フィート(約2.1メートル)に改め、多くの鉄道トンネル、鉄道橋などの建設に従事した。彼自身の最初の仕事はエボン峡谷に架けたクリフトン吊橋(つりばし)の設計(彼の死後に完成)で、1845年にはハンガーフォードの吊橋を建設、1859年には圧搾空気潜函工法(せんかんこうほう)(ケーソン工法)を利用してロイヤル・アルバート橋を完成した。
また1838年最初の大西洋横断定期汽船グレート・ウェスタン号、1843年スクリュー推進の鉄船グレート・ブリテン号を建造。1858年には世界一周も可能な排水量2万7000トンの巨船グレート・イースタン号を完成したが、石炭消費量が過大なため、この19世紀最大の船は失敗し、1888年解体された。
[山崎俊雄]
ブルーネル(Sir Marc Isambard Brunel)
ぶるーねる
Sir Marc Isambard Brunel
(1769―1849)
イギリス産業革命後期の技術者。フランス、ノルマンディー生まれ。神学校に学び、フランス海軍士官(1786~1792)となるが、フランス革命のためにニューヨークに亡命し、運河の設計や劇場の建設に従事した。1799年イギリスに渡り、1806年ポーツマスの造船所で船舶用滑車の大量生産用機械をつくった。これにより、それまで43種の機械と100人の労働者を要した滑車製造の仕事は、10人で、はるかに短期間に、しかも正確に生産されるようになり、年間10万個を必要とした政府は約2万4000ポンド節約できた。また編機(トリコット機)や木材加工機を発明したが、発明から利益をあげることは苦手であった。1818年にはトンネル用シールド工法の特許を得た。この工法は子のI・K・ブルーネルの協力によりテムズ川底トンネル建設工事(1825~1843)に使用され、その功によりナイトに叙せられた。
[山崎俊雄]