プランション(英語表記)Roger Planchon

改訂新版 世界大百科事典 「プランション」の意味・わかりやすい解説

プランション
Roger Planchon
生没年:1931- 

フランスの演出家,俳優,劇作家リヨン近くサン・シャモンの貧しい農家の生れ。若くして映画,演劇に出会い,とりわけ演劇革新の気概に燃えて,まずリヨンで〈テアトル・ド・ラ・コメディ〉を結成,いち早くアダモフ作品の上演などで気を吐き,やがてパリで〈ベルリーナー・アンサンブル〉の公演を見てブレヒトに傾倒する。1957年,リヨンに隣接する工業都市ビユルバンヌの大きな市立劇場〈テアトル・ド・ラ・シテ〉を率い,そこを60年代もっとも輝かしい地方演劇センターとして現代演劇の革新に貢献した。ブレヒト劇(《第2次大戦中のシュベイク》)や《白い脚》《黒い豚》など自作の上演も行ったが,ことにシェークスピア(《リチャード3世》等),モリエール(《タルチュフ》《ジョルジュ・ダンダン》等),ラシーヌ(《ベレニス》等),マリボー(《第二の恋の不意打ち》等)など,内外の古典の読み直しと新演出で活躍する。こうした仕事ぶりが評価されて,72年末,ビラール亡き後,〈国立民衆劇場〉がパリからビユルバンヌに移されると,その統率に当たることになった。一時ここを協同で指導していたパトリス・シェローや,アリアーヌ・ムヌーシュキン,アンドレ・レバーズらとともに,プランションは今日,フランスの最も実力ある社会派の演劇人といっていい。なお,プランション演出の基底が叙事詩的あるいは映画的で,マルクス主義的なことには変りはないが,70年代あたりからそこにフロイト的ないしアルトー的傾向が強く加味されてきている。最近ではハロルド・ピンターの《誰もいない国》(1979)などがとくにめぼしい成果に数えられる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プランション」の意味・わかりやすい解説

プランション
Planchon, Roger

[生]1931.9.12. サンシャモン
[没]2009.5.12. パリ
フランスの演出家,俳優,脚本家。第2次世界大戦後のフランス演劇を主導した。1950年リヨンに劇団テアトル・ド・ラ・コメディを設立,アルチュール・アダモフの作品を上演して注目される。ベルトルト・ブレヒト作『セチュアンの善人』の演出を機にブレヒトを知り,その影響で叙事的社会劇を目指した。1957年パリでの初公演でアダモフの『パオロ・パオリ』Paolo Paoli(1957)を演出して成功,同年リヨン郊外のビルバーヌ市立劇場に移って本拠とし,劇団名をテアトル・ド・ラ・シテに改名した。舞台装置家ルネ・アリオとともにウィリアム・シェークスピア,ピエール・マリボー,ジャン・ラシーヌ作品などに独特な演出を試みた。1972年フランス政府がパリにあった国立民衆劇場の名称をビルバーヌ市立劇場に与え,同劇場の監督に就任した。パトリス・シェローら新進演出家を育て,映画『ルイ少年王』Louis, enfant roi(1991)などを監督した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「プランション」の意味・わかりやすい解説

プランション
ぷらんしょん
Roger Planchon
(1931―2009)

フランスの演出家、俳優、劇作家。リヨン近郊のサン・シャモンに生まれ、早くからリヨン市のアマチュア劇団で活躍。1952年友人と劇団を結成し、アダモフなどの前衛劇のほか、フランスでいち早くブレヒトを上演。1954年のベルリーナ・アンサンブルのパリ来演でじかにブレヒトに接し影響を受ける。1957年リヨン郊外ビルールバンヌ市立劇場を本拠として、シェークスピアやモリエール、ことに『タルチュフ』を新解釈で演出して話題となる。1972年以来ビルールバンヌ市立劇場に本拠を移したTNP(テーエヌペー)(国立民衆劇場)の主宰者となる。自作の戯曲には『青、白、赤あるいは自由主義者たち』(1967)、『黒い豚』(1973)など。

[利光哲夫]

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世界大百科事典(旧版)内のプランションの言及

【国立劇場】より

…ところが,ここがほんとうにその名にふさわしい劇場になったのは1951年,演出家J.ビラールが統率者になって以来のことで,辞任(1963)までの12年間,G.フィリップやM.カザレスなどの名優を擁して彼はこの大ホール(座席数約2700)を,〈民衆劇場〉の名にふさわしくアクチュアルで上質な芸術の醍醐味を,たくさんの観客に安価に提供する場所にすることに成功した。しかし,その後,激動する社会・政治的現実の前で,民衆演劇の理念が不透明化するにともない,活動は低迷,72年にはパリのシャイヨ宮から,演出家・俳優R.プランションのもともとの本拠地,リヨンに隣接したビルルバンヌに移転,そこへ演出家P.シェローらを加えて新〈TNP〉は集団指導の体制で,ビラールの遺志を継ぎながら,新時代に応じた新しい民衆演劇の開拓に意欲を燃やして今日に至っている。〈TNP〉のおもなレパートリーには内外の読み直された古典と並んで,ブレヒトら,概して社会派の異色な現代作家たちの作品があげられる。…

【国立民衆劇場】より

…シェークスピア,コルネイユ,モリエール,クライストなど古典の読み直しと,ブレヒト劇のフランスへの紹介の功が特筆される。しかし,63年ビラールが去ってのちは,後継者ウィルソンGeorges Wilsonらの努力(たとえば裏手に実験小劇場〈ジェミエ・ホール〉の開設)にもかかわらず,時代の変化もあって民衆劇場は低迷し,72年ついにTNPは,リヨン近くビユルバンヌのR.プランションの本拠地に移転,ヘッドにP.シェローらを主宰者に加えて集団指導制により再出発した。以来この新TNPは,ビラールの遺志を継承しながらも,バロック的で視覚的な舞台づくりと,ブレヒト+フロイト的作品解釈という彼らの個性を生かして成果をあげている。…

【フランス演劇】より

…のちにジュネ《女中たち》の記念碑的演出を残す)を忘れることはできない。 しかしこの第2の転機の時代における最も重要な新しい型の演劇人はR.プランションである。プランションは,自らの集団を地方都市リヨンの労働者街において〈民衆演劇〉と〈地方分化〉を実践するとともに,また〈ブレヒト革命〉の体現者であり(1954年のベルリーナー・アンサンブルのパリ巡業を機に,R.バルト,B.ドルトらによる《民衆演劇》誌がブレヒト派の牙城となりプランションを支持した),さらに劇作については,イヨネスコ,アダモフ(《パオロ・パオリ》)らの前衛劇を積極的に初演する一方,モリエール(《タルチュフ》),ラシーヌ(《ベレニス》),マリボー(《第二の恋の不意打ち》),シェークスピア(《ヘンリー6世》)らの古典について,現代の知の先鋭的な視座から〈再読解〉を企てた。…

※「プランション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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