改訂新版 世界大百科事典 「プレサピエンス」の意味・わかりやすい解説
プレ・サピエンス
Pre-sapiens
新人の出現に関して古くからさまざまな考え方が出されているが,その一つにプレ・サピエンス説がある。この学説は,新人がネアンデルタール人とは別の系統から派生したとするもので,P.M.ブール(1913)以来,多くの人類学者によってさまざまな系統樹が提案されてきたが,これを集大成したのがフランスのバロアH.V.Vallois(1954)である。プレ・サピエンスという術語は,ドイツのヘーベラーG.Heberer(1950)によって最初に用いられたが,その代表的な人類化石はフランスのシャラント県フォンテシュバードFontéchevadeの洞窟遺跡の下層から発見された3個の脳頭蓋である。頭蓋が発見された堆積の地質年代は,リス/ウルム間氷期と推定されているが,それにはタヤク文化およびクラクトン文化の石器が伴っているので,プレ・ネアンデルタールより時代的に古い。脳頭蓋,とくに額や頭頂骨の形態が新人に類似し,また眼窩上隆起の発達が弱い点を重視したバロアは,フォンテシュバード人とプレ・ネアンデルタールおよびネアンデルタール人との系統関係を否定し,ヨーロッパの新人はフォンテシュバード人を先祖とするもので,プレ・ネアンデルタールからネアンデルタール人へつながる系列の人類は絶滅したという結論に達した。イギリスのケント州スウォンズクームSwanscombeのミンデル/リス間氷期の地層から出土した後頭骨と左右頭頂骨の形態がフォンテシュバード人によく似ているところから,バロアはこの両者をプレ・サピエンスとしている。またドイツのシュタインハイムSteinheimのミンデル/リス間氷期の地層から出た完全な頭蓋もこの一群に入れられている。しかし,その後C.L.ブレースやW.ハウエルズなど多くの人類学者は,プレ・サピエンスの頭高が低く,骨壁が厚く,最大後頭幅が広いなどその原始的形態に注目し,プレ・サピエンスの一群をプレ・ネアンデルタールと同一視し,プレ・サピエンス説に反対している。A.トーマは1965年,ハンガリーのベルテスセレスVértesszöllősの洞窟のミンデル氷期と推定される層から発見された後頭骨(ベルテスセレス人)に,ネアンデルタール人より進んだ特徴がみられるとして,プレ・サピエンス説の復活を図ったが,失敗に終わり,今ではプレ・サピエンス説を支持する人はほとんどいない。
執筆者:池田 次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報