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化石人類 かせきじんるいfossil man

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

化石人類
かせきじんるい
fossil man

化石として発見される古い人類。あまり厳密な言葉ではなく,初めは現生人類とは別にかつて存在した人類 (先行人類ともいう) のことをさしていた。具体的には約 400万~1万年前までの更新世以前の人類のことで,次のように4つの進化段階に分けられている。 (1) 猿人 パラントロプスを含んだアウストラロピテクス類のこと。およそ 400万~100万年前,不完全ながら二足歩行をして,礫石器を使用。 (2) 原人 ピテカントロプス北京原人などホモ・エレクトゥスをさす。およそ 150万~20万年前,完全に直立二足歩行し,握斧を作った。火を使用したと思われる。 (3) 旧人 ネアンデルタール人などのことで,およそ 20万~5万年前,おもに剥片石器を使用した。 (4) 新人 現生人類と同類である。石刃を多目的に加工して使用した。上記の人類はいずれも現生人類の先祖であると考えられる。

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百科事典マイペディアの解説

化石人類【かせきじんるい】

化石骨によって知られる,更新世(地質時代第四紀前半)およびそれ以前の人類の総称。現生人類とは形態が異なり,別種と認定される。眼窩(がんか)上隆起(眉上弓)の発達,前額の後退,低頭,頤(おとがい)の未形成の諸形質を共有。
→関連項目明石原人猿人旧人ジンジャントロプスハイデルベルク人パラントロプス三ヶ日人

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世界大百科事典 第2版の解説

かせきじんるい【化石人類 fossil hominids】

更新世およびそれ以前の化石骨によって知られる人類,すなわち猿人,原人,旧人,新人の総称。化石人類として最初に認められたのは,ドイツデュッセルドルフに近いネアンデル谷石灰岩洞窟で1856年に発見されたネアンデルタール人である。この人骨は,頭蓋冠が低く,眼窩上隆起が強い点で原始的であったが,頭蓋腔容積は現代人に勝るとも劣らない大きさをもっていた。1891年にジャワのトリニールで,E.デュボアが発掘した化石頭蓋は,高さがさらに低く,頭蓋腔容積も約850mlと,現代人平均の約3分の2程度であった。

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大辞林 第三版の解説

かせきじんるい【化石人類】

化石から、その存在が知られている過去の人類。進化段階によって猿人・原人・旧人・新人に分ける。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

化石人類
かせきじんるい
fossil man

本来は化石として発見された人類をさす。今日では第四紀更新世(洪積世)およびそれ以前に生存した人類を総称し、歴史時代の現生人類と区別する。人類史の再構成にあたり、化石人類の変遷が中心課題となるが、これを研究する学問を化石人類学、もしくは古人類学という。ここで対象とする標本は歯や骨で、それも破片であることが多く、全身骨格が得られることはきわめてまれである。化石が生成、保存される条件は複雑であり、標本の出土状況にはかなりの偏りがある。化石標本から得られる主要な知見として、脳頭蓋(とうがい)ひいては脳の大きさと形態、そしゃく器の発達程度、全身の大きさと外観および姿勢、身体各部の比率、筋肉の発達状況、性および年齢、歯牙(しが)細部、生活状態の一側面などがあげられる。今後は残存DNAなどにより、系統が明らかになる可能性がある。これらの化石記録は、随伴して発見される自然遺物と文化遺物、古環境、年代などと総合して考察することにより、遠古の人類の実態を解明する基礎となる。
 便宜上、化石人類は人類直系の祖先の霊長類、猿人、原人、旧人、新人の5段階に分けて考察すると理解しやすい。当然二つの段階の中間に位置する化石も存する。人類の基本条件としては直立二足歩行があげられ、犬歯の縮小もこれに伴う。頭蓋容量は脳、ひいては人類の進化程度を示唆する。一方、身体以外の特徴として、文化の所有をつねに念頭に置かなければならない。[香原志勢]

人類直系の祖先の霊長類

第三紀霊長類に属する類人猿がこれに相当する。以前からいくつかのものがその候補にあげられるが、それらはたちまちにして消え去った。たとえば、人類に近縁な化石類人猿として古くからドリオピテクス類があげられているが、今日では、ヒトとは若干道を異にしたゴリラやチンパンジーなど、現生類人猿の祖先とみられている。1950年前後にはオレオピテクスとギガントピテクスが、70年代ごろにはラマピテクスが人類祖先の直接の候補とされたが、いずれも誤認によるものとして、その座をおろされた。現在ではケニアピテクスや石田英実らが発見したサンブル・ホミノイドなどの名があげられるが、確実なものではない。なお、94年にT・ホワイトや諏訪元らがエチオピアのアワシュ地区で発見したラミダス猿人は、むしろ化石類人猿と猿人とを橋渡しするものと考えられ、アルディピテクス・ラミドゥスとよばれる。[香原志勢]

猿人

類人猿とヒトの中間に位する化石人類を猿人と呼ぶ。これにはアウストラロピテクス属各種が入る。それとしてまずA.アフリカヌス(華奢(きゃしゃ)型)、A.ロブストゥス(頑丈型)、A.ボイセイ(より頑丈型)の3種があげられる。これらの顔面頭蓋は強壮で大きく、突顎(とつがく)であり、とくに頑丈な2種の頭頂には衝立(ついたて)状の矢状稜が正中方向に走る。左右のそしゃく筋が矢状稜からも発するので、矢状稜が存することはそしゃく筋が強大であったことを示す。歯列弓および個々の歯は大きいが、犬歯は短小で、先がとがらず、もはや牙(きば)ではない。脳はゴリラなみの500ミリリットルで、現生人類の約3分の1の大きさである。骨盤が大きく幅広なことや、大後頭孔が下方に向いていることから、かれらが直立姿勢をとっていたことがわかる。大きな額面頭蓋と小さい脳容量は類人猿的だが、直立姿勢や小さい犬歯はヒト的である。このように中間的存在でありながら、化石人類とよぶのは、オルドワン石器を伴うからで、いかに粗末でも、石器を製作・使用した以上、彼らは文化をもったことになるからである。ホモ・ハビリスはこれら3種とほぼ同時代に存したが、脳容量は約650ミリリットルで、小臼歯や大臼歯が華奢なので、初期ホモ属に入るものとされ、それだけに猿人と原人の中間とみられる。なお、その大型種はホモ・ルドルフェンシスとよばれることがある。以上の標本はいずれも東アフリカの大地溝帯(リフト・バレー)および南アフリカから発見されており、これらの祖先にあたるものはA.アファレンシスとよばれる。1990年代になって、これより古いA.アナメンシス、そしてさらに古く化石類人猿と猿人の中間に入るアルディピテクス・ラミドゥスが東アフリカの大地溝帯内から発見されている。このためこの大地溝帯こそ人類発祥の地と考えられている。猿人は400万年あまり前から100万年前ごろに存したとみられている。そのことは、チンパンジーとヒトの分岐年代を500万年あまり前とする分子人類学者の見解をも受け入れる。[香原志勢]

原人

これまで原人を代表するものは、ジャワ原人(ピテカントロプス)や北京原人であり、寒帯を除くユーラシアやアフリカから広く出土した同類をも含め、ホモ・エレクトゥス(直立人類の意)とよばれた。200万~150万年前に存したとみられたが、東アフリカの大地溝帯から出土した180万~150万年前の標本はしばしばホモ・エルガステルとよばれる。また、ヨーロッパのアラゴやマウエルなど進歩的原人は他の古代型サピエンスとともにホモ・ハイデルベルゲンシスともよばれる(50万~20万年前に生存)。いずれも大腿骨(だいたいこつ)など各部の骨格は直立二足歩行に適した形態をもつ。脳容量は900~1300ミリリットルと、変異は大きい。脳頭蓋の骨は厚く、眼窩(がんか)上隆起は発達、低頭で前頭部の発達は悪い。頭骨を上面(上)から見ると、眼窩後狭窄(きょうさく)がみられる。上下顎骨(がくこつ)は発達し、突顎(とつがく)である。[香原志勢]

旧人

ネアンデルタール人とそれに類似する脳の大きな化石人類をさす。最初に出土したのは典型型ネアンデルタール人であり、以後同類が中部ヨーロッパ各地から発見された。特徴として、頭蓋容量が1400~1600ミリリットル、現代人よりむしろ大きめであるが、長頭で低頭であり、とくに前頭部の発育が悪い。突顎で上下顎は大きく、眼窩上隆起は強く突出し、頤や犬歯窩はみられない。このように大頭、大きな顔でありながら、成人男性の身長が約155センチメートルで短身であり、さらに誤認により醜く復元されたため、当時のヨーロッパ人はこれを自分たちの祖先とみなすことを拒んだ。その後、典型的な類はビュルム氷期第一亜氷期に氷河周辺地帯に住んでいたことが明らかになった。その特徴の一部は寒冷に適応したものである。他方それより古い暖かい時期に、眼窩上隆起の弱く、頭のまるみのある長身の進歩型が地中海沿岸やイスラエルなどからいくつも発見され、さらにスフール人は頤(おとがい)など進歩的特徴を有し、次の新人に通じることが明らかになった。つまり原人からの流れは進歩型ネアンデルタール人に引き継ぎ、新人に移行するもので、典型的な類は寒冷気候のなかで進化の横道にそれたと考えられている。その他、ヨーロッパや西アジア、東アジア、アフリカからネアンデルタールと趣(おもむき)を異にする旧人が出土している。これらは古代型サピエンスともよばれる。
 旧人の生存年代は一般には約10万~3万5000年前と考えられているが、上限はもっと古いものになるであろう。旧人は中期旧石器文化の担い手であり、原人段階に比べて石器は種類がはるかに豊かであり、製作工程も複雑で、機能的に優れていた。埋葬を行った痕跡(こんせき)が残っており、他界観念を有したと思われる。今日、旧人はホモ・サピエンスのなかに入れられ、現生人類とは亜種の違いにすぎないとみられている。[香原志勢]

新人

現生人類と同類の人類とみなせるが、約3万5000年前、更新世の最終寒冷期(いわゆるビュルム氷期)以降に生存したとみられるため、化石現生人類とも称せられる。身体の諸特徴は今日の人類とほぼ等しいが、短頭の個体はみられず、筋骨ははるかに強壮である。代表的な例はクロマニョン人である。中国では山頂洞人、ジャワではワジャック人などの新人が発見されている。新人の起源としては、東アフリカ起源とするもの、各地でそれぞれの旧人に由来するものなど、諸説がある。旧人以前の人類と比べた新人の特徴として、そしゃく器の著しい退縮(弱い突顎もしくは直顎、小さい歯)、頤(おとがい)の形成、眼窩上隆起が痕跡的であること、額が鉛直に近く立っていること、脳頭蓋が丸みをもっていること、乳様突起の発達などがあげられる。端的にいえば、脳頭蓋に比べ顔面が小さい。脳の平均的な大きさは約1450ミリリットルである。また、頸(けい)部を含め直立姿勢を完成させた。新人は後期旧石器文化、中石器文化のほか、現世に入ってからの新石器文化、金属器文化をも担った。後期旧石器文化以来の新人が高い文化をもちえたのには、優れた知能とともに、発達した言語能力によるところが大きいと考えられている。その高い技術と文化によって、新人は南北アメリカ大陸、オーストラリアを含む全世界に進出し、人類を汎(はん)地球的動物に仕立てあげた。[香原志勢]

発見史の特質

代表的な化石人類の発見は、学界や一般社会によってすんなりと承認されないことが多かった。ネアンデルタール人は、ダーウィンの『種の起原』公刊の3年前、1856年に発見されたが、キリスト教的世界観の支配する当時のヨーロッパでは、この発見は大論議をよび、珍説・奇説を生み出したあげく、病理的な骨格として処理されてしまった。これが日の目をみたのは約半世紀後の1901年である。ピテカントロプス・エレクトゥスは1891年に発見されたが、その真価が認められたのは、北京原人が続々として発見された1930年代である。またアウストラロピテクス・アフリカヌスは1924年に発見されたが、当時の学界には無視され、50年前後にその重要性が認められ人類の一員とされたのは59年である。このように各進化段階の先駆けとなる標本の評価が著しく遅れたのは、これらが人類の祖先となるべきものであったからといえる。人間はその本質においてかなり保守的で、現代人の姿と異なる骨格を、自分たちの祖先のものとみなすことに、拒否的な態度を示したのであろう。とくに、宗教が絡むと正当な評価ができなかったと考えられる。しかし、世界各地で多数の化石標本が発見される一方、ダーウィンの進化論が人類にも適用されるにしたがって、これらの標本が進化論の構図を説明するのに適切と考えられ、評価されるに至った。[香原志勢]
『埴原和郎編『人類学講座4 古人類』(1981・雄山閣出版) ▽ル・グロ・クラーク著・金井塚務訳『霊長類の進化』(1983・どうぶつ社) ▽リチャード・リーキー著・岩本光雄訳『人の起源』(1985・講談社) ▽埴原和郎著『新しい人類進化学』(1984・講談社・ブルーバックス)』

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世界大百科事典内の化石人類の言及

【新人】より

…今から約3万年前,後期更新世のウルム第1亜間氷期から現在にいたる間に地球上に生息した人類は,すべて新人の範疇に入るが,更新世の新人,すなわち後期旧石器時代人は化石現生人類Homo sapiens fossilisと呼ばれ,それ以後の新人と区別されている。 過去の人類の身体特徴を知る唯一の手がかりである骨・歯の形態について,新人と他の化石人類を比較すると次のような差異が認められる。平均頭蓋容積は約1350ccで,これは旧人とほぼ同程度であるが,猿人や原人よりかなり大きい。…

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