日本大百科全書(ニッポニカ) 「プレームチャンド」の意味・わかりやすい解説
プレームチャンド
ぷれーむちゃんど
Prēmchand
(1880―1936)
インドのヒンディー語およびウルドゥー語の小説家。本名ダンパト・ラーエ、筆名ナワーブ・ラーエ。郵便局員の子として生まれ、9歳で母を、17歳で父を失い、苦労して高校を卒業。1905年カーンプルに学校教師として赴任、ウルドゥー語誌『ザマーナ』の編集長と親交を結び、ウルドゥー語の作品を発表し始める。08年、ナワーブ・ラーエの名で出版した短編集『ソーゼ・ワタン』(故郷の悲劇)が、イギリスを侮蔑(ぶべつ)するものとして発禁焚書(ふんしょ)の罰を科せられたが、創作意欲が強く、10年には短編『バレー・ガル・キーベーティー』(旧家の娘)をプレームチャンドの筆名で発表した。18年、最初の本格小説のウルドゥー語版の出版が遅れている間にヒンディー語訳が『セーワー・サダン』(救護施設)として出版され大好評を博し、ヒンディー語作家としての地歩を固めた。
1921、22年、対英非協力運動の一環として教員を辞職し、編集者、私立学校教師などを経て出版社を経営、30年には月刊誌『白鳥(ハンス)』を刊行。出版社の経営難と闘いながら作家活動を続けた。24年以後は、まずヒンディー語で書き、ウルドゥー語訳はあとに発表するようになったが、ウルドゥー語による発表を最後まで行った。36年、傑作『ゴーダーン』(牛供養)を残して世を去るが、短編二百数十、長編11編があり、ヒンディー語・ウルドゥー語小説の父と称されている。ガンディーの思想に深く共鳴し、理想主義と写実主義、都市生活と農村生活とを巧みに組み合わせたその作品は、広く愛読されている。
[土井久弥]