日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルリン国際建築展」の意味・わかりやすい解説
ベルリン国際建築展
べるりんこくさいけんちくてん
Internationale Bauausstellung Berlin
1987年、ベルリンで開催された実物の建築を展示する展覧会。ベルリンIBA(イバ)とも呼ばれる。国際建築展という形式、すなわち実際に建築を建設する建築博覧会は近代ドイツのデザイン運動を主導したドイツ工作連盟によって始められた。実験地区を設定し、世界中の建築家を招聘しモデル住宅の設計に当たらせ、博覧会開催後は分譲して実際の居住区とするものであり、ウィーンやシュトゥットガルト(ワイゼンホフ地区)のものが有名である。IBAの名前では1950年代、ハンザ地区で行われた「IBAインターバウIBA Interbau」があり、ワルター・グロピウス、アルバ・アールト、ル・コルビュジエなどが参加した。
しかし、個別の建築博覧会名ではなく、「IBA方式」として認知されているのは1987年のベルリンの都市再開発につながる集合住宅建設プロジェクトである。ベルリンIBAは、第二次世界大戦とその後のベルリンの壁の構築により空き地化したり、モダニズム建築によって統一性を失っていた中心部に、街区ごとに中庭をもつブロック型に統一された街並みを整備し、「都市内居住」を誘導することによってベルリンの再活性化を目指した。
ベルリンIBAには「ノイ(新)IBA」と「アルテ(旧)IBA」の二つの部門が設けられた。前者はクロイツベルク地区の南フリードリヒシュタット、ティアガルテン地区の南ティアガルテン、ビルマースドルフのプラハ広場、ライニケンドルフのテーゲラ(広場)、汚水処理施設などですべてが新築、後者はクロイツベルクのルイゼンシュタットなどを対象地区として保存・修復がテーマとされた。
建設するものは集合住宅が中心であり、地域計画のプログラム、ボリュームに沿って、個々のデザインは異なった建築家に任せられる。そのほとんどがコンペティションによって選ばれた国際的に活躍する建築家、磯崎新(あらた)、黒川紀章(きしょう)、アルド・ロッシ、レム・コールハース、エリア・ゼンゲリスElia Zenghelis(1937― )、ピーター・クックPeter Cook(1936― )らであった。
建築家J・P・クライフスJosef Paul Kleihues(1933―2004)を代表とするベルリンIBAは数々のコンペティションを行うことで、単なる集合住宅の再開発を都市再開発へと発展させた。個々のプロジェクトのクライアントはベルリン市ではなく、この主旨に賛同したデベロッパーである。一種の事業コンペと、建築博覧会という都市の未来へのパースペクティブを合体させることにIBA方式のユニークさがある。その後、この方式にヒントを得た都市開発プロジェクトは世界中の都市に拡がるが、1988年(昭和63)に始まった「くまもとアートポリス」はその一つである。県内の公共建築を、コミッショナーが実績によらず、さまざまな建築家に設計を委託するという、従来の公共建築の設計者選定方式に一石を投じるものだったが、これは当時の熊本県知事細川護熙(もりひろ)がベルリンIBAを視察したことに始まっている。またかつてのドイツの石炭・鉄鋼産業の中心地ルール地域の環境再建地域開発をはかるエムシャー・パークIBAは、同じく、IBA方式によるものであるが、建築デザインの多様さを求めるというよりは既存の工場や団地という資産を活かしながらエコロジカルな地域や環境との共生の実験を展開するものである。
これらが示すように、IBA方式は、かつてのモダニズム建築の博覧会という目的を超えて、いまでは多様な地域開発、都市開発の手法として用いられている。
[鈴木 明]