日本大百科全書(ニッポニカ)「地域開発」の解説
地域開発
ちいきかいはつ
regional development
地域の潜在的可能性を開くことを掲げる社会的計画。その先駆的な例としては、アメリカの大恐慌を救ったとされるニューディール政策の一環としてのTVAなどがあげられる。開発や計画の主体や推進力としては、行政や企業体が中心となることが多く、とりわけ日本では住民の関与や参加は少ない。
[園田恭一]
資源開発中心主義の段階
日本において地域開発ということが本格的に取り組まれるようになったのは、第二次世界大戦後の経済再建の過程、とりわけ1950年(昭和25)の国土総合開発法の制定以降の時期であった。それは、敗戦による植民地の喪失、領土の縮小という現実を前にして、その経済的復興の道が国内市場の発展や後進地域の開発に求められたからでもあった。
[園田恭一]
工業開発中心主義の段階
しかし、日本の経済復興が進むなかで、とりわけ1950年代の後半以降となると、地域開発政策の重点も、大企業の経済活動に、より直接の関係をもつ道路、港湾、工業用水の確保や拡充といった産業基盤の整備に向けられるようになってきた。
[園田恭一]
地域格差是正主義の段階
1960年に池田勇人(はやと)内閣が国民所得倍増計画を前面に掲げ、高度経済成長政策を打ち出すに及んで、それは一方での企業の設備投資ブームをよんで、既存の工業地帯の過密や人口集中の激化による都市問題を生み、他方では農山村地帯での人口の急減や所得の低下などの、いわゆる地域格差の問題をさらに激しいものとすることとなった。過密地域の工場抑制と地方都市の開発を重点とした全国総合開発計画が62年に策定されるようになったのは、このような背景があったからであり、その目玉として打ち出されたのが、既存の工業地帯以外の地域に政策的に新しい産業都市を建設するという新産業都市建設促進法であった。
[園田恭一]
過密・過疎対策の段階
しかしながら、そこで地域格差を是正するためにとられた方策は、農漁業とか地場産業などといった生産力の低い産業を引き上げるというのではなく、石油や鉄鋼などのいわゆる成長産業をさらに育成強化し、それを分散させ、そこに人口を吸収したり、あるいは、それらを通して地域格差の是正と産業の過度集中の排除を進めようとするものであった。そのため、採算や効率や競争などを第一とする大企業や財界などの協力が得られず、企業とりわけ成長企業の大都市周辺の臨海工業地帯への集中はさらに進行した。そしてそれらの地域での環境問題などの事態は、ますます深刻化する方向に進んだのである。
[園田恭一]
大規模プロジェクト主義の段階
新産業都市政策の挫折(ざせつ)した後を受けての地域開発政策の新しい動向は、企業や人口のよりいっそうの大都市への集中を前提としたうえでの大都市の再開発であり、大都市圏の整備への転換であった。そしてこれらの総仕上げともいえるのが、1969年の新全国総合開発計画(新全総)であった。この計画は、三大都市圏への人や産業の集中を前提として、そこに都市機能を集中させ、そして他方、交通・通信手段を確立し、大規模化することによって、日本の各地方を大都市に結び付けていこうとするものであり、それは拠点開発方式にかわるネットワーク方式の計画であるといわれた。
[園田恭一]
安定政策主義の段階
しかし、経済の高度成長のひずみはさらに大きなものとなり、またその後の低成長経済時代を迎えて、1979年には、人口の地方定住化、限られた資源の活用、自然との調和のとれた環境づくりを目ざした第三次全国総合開発計画(三全総)が策定された。さらに、人口の高齢化、都市化、国際化に対応するということで、21世紀を展望した国土づくりの指針とするという第四次全国総合開発計画(四全総)の策定が現在進められている。
[園田恭一]
『園田恭一著『地域社会論』(1969・日本評論社)』▽『宮本憲一著『社会資本論』改訂版(1976・有斐閣)』