ドイツの社会主義者。ユダヤ人絹商人の子としてブレスラウ(現ポーランド、ブロツワフ)に生まれる。ブレスラウ、ベルリン両大学に学び、ヘーゲル哲学の影響を受けたが、ローレンツ・フォン・シュタインの著作やシュレージエン織工の蜂起(ほうき)をもたらした社会情勢に刺激されて社会主義的思想を抱いた。1845年、研究のためパリに赴き、そこでハイネと交わり、また1848年の革命では『新ライン新聞』に寄稿してマルクスとも知り、彼の影響を受けた。1849年、革命の際の活動を理由に禁錮刑の判決を受けたが、出獄後は革命前から手がけていたハッツフェルト伯爵夫人Sophie Gräfin von Hatzfeldt(1805―1881)の離婚訴訟を勝利に導き、以後、夫人から多大の経済援助を受ける身となった。
1862年、ベルリン郊外の手工業者組合で講演し、官憲の忌諱(きき)に触れて起訴されたが、翌1863年それを『労働者綱領』として公刊、さらに『公開答状』によって彼の所見を具体化した。そのなかで彼は、賃金鉄則の考え方を基礎に、国家の補助による生産者協同組合の設立、普通選挙権の獲得などを強調したため、マルクスから強い批判を受けたが、労働者には大きな影響を与えた。その結果、1863年、彼の起草した綱領草案に基づいて設立された全ドイツ労働者協会の会長となり、目的の達成を図ってビスマルクにも接近した。しかし1864年8月、スイス滞在中に女性問題をめぐってルーマニアの貴族と決闘、その際受けた負傷によって同月31日急死した。
[松 俊夫]
『小泉信三訳註『労働者綱領』(岩波文庫)』▽『メーリング著、足利末男他訳『ドイツ社会民主主義史』上下(1969・ミネルヴァ書房)』
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