ベールイ(読み)べーるい(英語表記)Андрей Белый/Andrey Belïy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベールイ」の意味・わかりやすい解説

ベールイ
べーるい
Андрей Белый/Andrey Belïy
(1880―1934)

ロシア・ソ連詩人、小説家、批評家。本名ボリス・ニコラーエビチ・ブガーエフБорис Николаевич Бугаев/Boris Nikolaevich Bugaev。モスクワ大学の数学教授の家に生まれ、自身もモスクワ大学数学科を卒業した。学生時代からソロビヨフニーチェの哲学的影響を受け、詩人、批評家として出発し、ブローク、ビャチェスラフ・イワーノフとともに、ロシア象徴派の第二世代を代表する存在と目された。初期の詩集に『るり色の中の黄金』(1904)など、評論集に『象徴主義』(1910)などがある。しかしその本領は小説の分野でもっともよく発揮された。ワーグナーなどの影響下に音楽の技法を文学に取り入れようとした「交響楽」とよばれる一連の散文詩は、詩から散文への移行の過程を証言する野心的習作であり、この試みを受けて、ゴーゴリドストエフスキーの伝統のうえにたつ、ロシアにおける東洋と西洋の対立を扱った長編『銀の鳩(はと)』(1909)、ナボコフが「20世紀散文中の最大傑作」の一つに数えた長編『ペテルブルグ』(1913~14)が書かれた。ルドルフ・シュタイナーの人智(じんち)学への関心を強め、運動に参加するのもこの時期である。しかし、1917年の革命に対しては、ロシア・メシアニズムの立場からの共感を表明し、長詩『キリストは蘇(よみがえ)り給いぬ』(1918)を発表した。その後、自伝的小説『魂の遍歴』(原題『コーチク・レターエフ』1917~18)、自伝的長詩『最初の出会い』(1921)などを発表するかたわら、プロレタリア系作家のための講義を行うなど活躍したが、一時ベルリンに亡命し、帰国後は孤立したなかで長編『モスクワ』(1926)などの小説、数々の回想記、評論を発表し、最後まで旺盛(おうせい)な執筆活動を続けた。小説家としての仕事は数多くのソビエト作家、亡命作家に強い影響を与え、また批評家としての仕事はロシア・フォルマリズムの成果を先取りするものとされている。

[長谷見一雄]

『川端香男里訳『魂の遍歴』(『20世紀のロシア小説5』1973・白水社)』『川端香男里訳『ペテルブルグ』(『世界文学全集82』所収・1977・講談社)』『小平武訳『銀の鳩』(『集英社版世界の文学3』1978・集英社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベールイ」の意味・わかりやすい解説

ベールイ
Belyi, Andrei

[生]1880.10.26. モスクワ
[没]1934.1.8. モスクワ
ロシアの詩人,小説家,評論家。本名は Boris Nikolaevich Bugaev。数学教授の家庭に生れ,モスクワ大学理数学部を卒業したが,象徴主義の文学運動に加わり,同派の指導者の一人となった。詩集『るり色のなかの黄金』 Zoloto v lazuri (1904) ,『吹雪の杯』 Kubok metelei (08) ,『灰』 Pepel (09) ,『骨壺』 Urna (09) ,小説『銀の鳩』 Serebryanyi golub' (09) ,『ペテルブルグ』 Peterburg (13~14) ,『モスクワ』 Moskva (26~32) ,評論『シンボリズム』 Simvolizm (10) など。

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