ロシア象徴主義を代表する詩人。父はワルシャワ大学の教授(国家法)であったが、ブロークが生まれてまもなく両親が離婚したので、ブロークは母方の家で育てられた。祖父ベケトフは植物学者でペテルブルグ大学の学長。祖母や母、母の姉妹たちはいずれも文学的素養が深く、ブロークはきわめて恵まれた知的環境のなかで育った。1898年ペテルブルグ大学法学部に入学、のち文学部に転じ、8年かかって卒業。詩を本格的に書き始めるのは1897年からで、年上の女性との恋がきっかけであった。さらに翌年の夏、化学者メンデレーエフの娘、後の夫人となるリュボーフィ・メンデレーエワとの出会いがあり、彼女を宮廷恋愛風に崇(あが)め高める詩が書かれ始める。1900年に入るころから、あたりの風景、自然の動きに見入りながら、そこになにものかの徴候を読み取ろうとする傾向がみえ始め、翌年には哲学者ソロビヨフの詩の影響もあって、それがさらに神秘化されていく。20世紀最初の1年目は一部青年たちによって、刷新された世界の到来、世界の変貌(へんぼう)への期待とともに迎えられた。すなわちそれは、ソロビヨフのいうソフィア(この世と天上の世界、神と人の仲立ちとなる、完全なる美と調和を体現した女性)の顕現とともに、この世の終末が訪れ、世界の変貌が始まる、と考えられたのである。ブロークは町や野を歩きながら、その神秘の女性の幻を如実にみていた。その年の秋からは自意識による分裂、「分身」のモチーフなど影の部分が濃くなってくるが、1901~02年の詩を収めた『うるわしの淑女』詩編は基本的にこのような神秘的気分に貫かれている。
ブロークはそのころまで同時代の新しい文学をほとんど知らなかったが、1903年ごろからいわゆるデカダン派の作品にも親しみ始める。03年8月に結婚。夢想からの覚醒(かくせい)の時期がくる。身の周りの現実に目が向けられ、ブロークの詩はさまざまなモチーフを取り入れて、膨らみだす。都市風景、労働者や下層民の生活、沼地の小動物や植物と並んで野や大地の広がりが、05年の革命が歌われる。しかし「現実への覚醒」とは、ブロークの内面の側からいうならば、傷つきやすい魂を現実にさらし、その痛みと苦難のなかから「美」を創(つく)りだす方途を探ることであった。夫人をめぐって詩人ベールイと三角関係に陥り、酒浸りになって街を彷徨(ほうこう)していたころに書かれた詩、レストランで見かけた娼婦(しょうふ)に至福の国を夢みる『見知らぬ女』(1906)は、そのような模索のなかから生まれた。さらにブロークの前には、知識人と大衆、ナロードとの関係の問題、ひいてはロシアの行く末、ロシアの運命が浮かび上がってくる。ブロークは詩人としての名声を博し、詩人としての自覚を深めるとともに、同時代の問題に目を開かれ、20世紀初頭のロシアに集中して現れてきた問題と全面的に直面しなければならなかった。
革命を描いた叙事詩『十二』(1918)は、革命をナロードのスピリットの発現とみて、吹雪(ふぶき)の街をパトロールする12人の赤軍兵士にそれを代表させ、前半では祝祭のオルギーや義賊伝説のイメージと重ね合わせながら、その荒ぶる魂をことほぐ。後半では、うって変わって厳粛に行進する兵士の行く手に、女性にまがう美しさのキリストの幻が現れる。ブロークは、革命の大義の前に知識人たる自らが滅び去ることもあえてうべなう自己犠牲のイデーを示したのであった。ブロークはその詩を書くことによってほとんど燃え尽きたように、まもなく全身衰弱のような症状を呈して世を去った。
[小平 武]
『小平武訳『ブローク詩集』(1979・弥生書房)』▽『小平武・鷲巣繁男訳『薔薇と十字架』(1979・書肆林檎屋)』
ロシアの詩人。詩は幼いころから書いていたが,1898年ころからリュボーフィ・メンデレーエワ(化学者メンデレーエフの娘)との恋を神秘的に昇華した詩が続々と生まれるようになった。V.S.ソロビヨフの詩を知り,ベールイとの交友が始まる中で,到来した20世紀にこの世の刷新,変貌を期待して,メンデレーエワは,世界の変貌をもたらす神秘の女性ソフィアの像と分かちがたく一体化した。それが詩編《うるわしの淑女》(1903)として結実し,詩人としての名声を得た。しかし,メンデレーエワとの結婚(1903)は現実への覚醒をもたらし,閉鎖的な夢想の世界に亀裂が生じた。田舎の貧しい風景,フォークロアの要素,都市のテーマと,現実的なモティーフ(主題),当時流行のモティーフが次々と取りこまれて,その世界はしだいに広がっていき,ついにはナロード(民衆)と知識人をへだてる深淵,ロシアの運命が問われるようになった。芸術の自律を旗印にして出発したロシア・シンボリズムは,ブロークにおいてここに大きく環を描いて,〈美と功利性〉の調和というロシア文学伝統の古典的な問題に戻ってきたのである。詩編《カルメン》(1913)においてブロークは,自分の抒情詩のサイクルは終結したと考えていたようである。
〈恋〉を核とした抒情詩の枠内では自分のテーマは歌えないと,1910年ころから自分の家門の歴史をたどる叙事詩《報い》が構想されるが,未完のまま1917年のロシア革命を迎えた時,そこにナロードのスピリット(精神)の発露を見て,叙事的交響詩《十二》(1918)が書かれた。行進する12人の赤軍兵士の体現する自然力(スチヒーヤ)は,革命の浄化の風であるとともに,えたいの知れぬ荒々しい力を秘めている。革命の大義の成就のためには自己犠牲をもうべなおうとするブロークのイデーが認められるが,最後に現れるキリストの幻には,カオス(混沌(こんとん))からやがてコスモス(秩序と調和のある体系)のもたらされんことを願うブロークの祈りがこめられている。
執筆者:小平 武
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