フランスの物理化学者。9月30日、リールで生まれる。近代原子論の確立に大きな貢献をしたジャン・ペランはリヨンで中等教育を受けたのちパリに出て、フランスの最高学府の一つである高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)で学んだ。19~20世紀の転回点は物理学史上有名な「原子論対エネルギー一元論論争」の時代でもあるが、ペランの師マルセル・ブリュアンはオストワルト‐マッハのエネルギー一元論の強力な反対者であり、ボルツマンの原子論の熱心な唱道者であった。ペランがこの師から受けた影響は決定的であった。1896年に彼はイギリス王立科学協会のジュール賞を受け、翌1897年には学位を取得した。ブリュアンの影響で学生時代から彼のなかに定着した原子・分子論的観点が具体的な研究として現実化し始めるのは主として1900年代からである。顕微鏡的なコロイド粒子が液体中で示す不規則な運動はブラウン運動とよばれ、その原因は長い間不明であったが、1905~1906年ごろアインシュタイン、スモルコフスキーらにより、これが液体の分子運動、分子衝突によるものであることが理論的に導かれた。ペランはこの理論の実験的検証に精力を傾けた。この実験には、たとえば真球形で半径の完全にそろったコロイド粒子の分散液をつくらねばならないが、20世紀初期の実験技術の段階でこの作業が現実にいかに労苦に満ちたものであるかは、彼の有名な啓蒙(けいもう)書『原子』Les Atomes(1913)のなかに感動的に描かれている。彼はこれらの研究により、アインシュタインの理論の正しさ、ひいては分子論、分子運動論の正しさを決定的なものにした。こうして1926年にはこの「物質の不連続的構造(分子的構造)の研究」に対しノーベル物理学賞が授けられた。
1936年、ペランは第一次人民戦線内閣の科学研究庁長官として、今日に引き継がれている重要な国立科学研究組織Centre National de la Recherche Scientifique(CNRS)を創立した。第二次世界大戦中はその激しい反ファシズム思想のゆえにアメリカに亡命し、ニューヨークで「自由フランス大学」Ecole Libre des Hautes Etudesの創立に協力、1942年4月17日同地で死去した。戦後その遺体は母国フランスに戻され、改めてパンテオンに葬られた。
[中川鶴太郎]
『玉虫文一訳『原子』(岩波文庫)』
フランスの物理化学者。リールの生れ。1891年にエコール・ノルマル・シュペリウールに入り,ボルツマンの原子論の擁護者であったM.ブリュアンの影響を受ける。95年最初の論文で陰極線が負に帯電していることを実験的に示し,これら陰極線の研究や,発見後まもないX線の研究を基礎に学位論文を提出,学位取得後はパリ大学の物理化学講師を経て,1910年から同教授。電解質溶液中でのイオン輸送の問題,とくにコロイド粒子のブラウン運動の研究に取り組み,1908年から一連の実験を開始,既知の大きさの粒子を使用してアボガドロ数を決定し,この値が気体分子運動論から導かれる値と誤差の範囲内で一致することを示した。また,この一連の実験は,コロイド粒子のふるまいが気体法則に従うことを示したアインシュタインの理論(アインシュタインの関係式)に実験的基礎を与えるとともに,分子の実在性を証明することになった。化学反応速度,光化学の分野でも多くの業績がある。26年ノーベル物理学賞を受賞。36年第1次人民戦線内閣に科学研究局長官として入閣したが,ナチス・ドイツのフランス占領の際にアメリカに亡命,ニューヨークで没。
執筆者:日野川 静枝
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フランスの物理化学者.1891年高等師範学校(エコール・ノルマル)に入学,1895年助手になった.1897年に陰極線とX線の研究によって博士号を取得し,パリ大学講師に迎えられた.1910年物理化学教室教授となり,1940年ナチスドイツの占領でアメリカに亡命するまでその地位にあった.A. Einstein(アインシュタイン)らのブラウン運動に関する理論的研究に衝撃を受け,分子の実在性の実験的証明に取り組んだ.1908年コロイド溶液の沈降平衡を実現し,コロイド粒子が気体運動論と同様に扱えることを示し,さらにコロイド溶液のブラウン運動の観測などからモル分子数を測定し,いずれもほぼ一致することを確かめ,この研究で1926年ノーベル物理学賞を受賞.1930年代に反ファシズム運動に参加し,1936年I. Joliot-Curie(ジョリオ-キュリー)の後任として科学研究庁長官を務め,フランス国立科学研究センター(CNRS)の創設にあたった.亡命先のニューヨークで客死したが,戦後にパンテオンに葬られた.1913年の著書「原子」(岩波文庫)は古典的名著として知られる.
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…しかしともかく分子の熱運動がブラウン運動の原因であるのだから,ボルツマンの時代はまったくの仮説にすぎなかった分子の熱運動なるものの手がかりが,ブラウン運動の研究によってつかめるのではないかと考えられ,20世紀の初頭になってにわかにブラウン運動の研究が活発になった。フランスのJ.B.ペランはゴム原液を水に滴加した乳濁液を顕微鏡で観察し,一つの微粒子について30秒ごとの位置を方眼紙に写してみた。時間tだけたつと微粒子がはじめの位置からrだけ離れたとして,r2の値をいろいろな微粒子について平均してみると,その値〈r2〉はtに比例していることが見いだされた。…
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