システィナ礼拝堂(読み)しすてぃなれいはいどう(英語表記)Cappella Sistina

日本大百科全書(ニッポニカ) 「システィナ礼拝堂」の意味・わかりやすい解説

システィナ礼拝堂
しすてぃなれいはいどう
Cappella Sistina

バチカン市国、ローマ教皇庁内にある礼拝堂。教皇選挙会(コンクラーベ)の会場にあてられることでもよく知られている。初め教皇専用の礼拝堂として、1278年ニコラウス3世の提案によって造営されたが、その後シクストゥス4世の意向を受けたジョバンニ・デ・ドルチによって、1473~81年に全面的に改築され、40.5×13.2メートルの長方形、天井の高さ20.7メートルという広壮な礼拝堂となった。当時の政治上の混乱を反映して、礼拝堂と城砦(じょうさい)の機能を兼ねうる構造になっている。堂内を二分する障柵(しょうさく)はミーノ・ダ・フィエーゾレ、ジョバンニ・ダルマータおよびアンドレア・ブレーニョの共作である。壁画はコジモ・ロッセリ、ボッティチェッリ、ギルランダイヨペルジーノ(のちにシニョレッリ、ピントリッキョらが加わる)によって1481~83年に制作された。祭壇に向かって左側には『モーセの生涯』、右側には『キリストの生涯』が6面ずつ描かれている。壁画の上の高窓の左右には、それぞれニッチ(龕(がん))の中に立つ計24人の教皇像が描かれているが、この制作にはギルランダイヨ、ボッティチェッリ、フラ・ディアマンテらが従事した。

 ミケランジェロによる天井画はユリウス2世の命により1508年に着手、12年に完成されている。ミケランジェロはまず建築的デザインを描いて天井を区画し、中央部を縦に連続する九つの長方形の枠内に創世記物語を描いた。次にそれを取り巻くように12人のモニュメンタルな預言者巫女(みこ)の坐像(ざぞう)を配し、これらが創世記物語と連接する位置に20体の青年の裸像を描いている。そのうえさらにキリストの先祖たちや装飾彫刻まで描き込み、しかも複雑な画面全体を統一的に構成したのである。

 同じ礼拝堂の祭壇の背後にみる『最後の審判』はパウルス3世の命で、やはりミケランジェロの手で完成。ダンテの『神曲』から構想を得て、制作者自身の宗教観を大胆に造形化した作品。画面中央やや上部に審判者キリストとマリアを配置し、これを取り囲んで上段は天使、中段は預言者、巫女、使徒、殉教者、下段右側は地獄に堕(お)ちる者と地獄、左側は墓から出て天国に昇る者という布置であり、巨大な浮彫りを思わせる画面である。

 なお、この礼拝堂のあるバチカン市国は1984年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[濱谷勝也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「システィナ礼拝堂」の意味・わかりやすい解説

システィナ礼拝堂
システィナれいはいどう
Cappella Sistina

1473~84年,教皇シクスツス4世が G.ドルチにローマのバチカン宮に建てさせた教皇のための礼拝堂。長方形プランの簡素な煉瓦建築で,美術史的には堂内を飾るルネサンス・フレスコによって重要。内陣を仕切る大理石のついたてと合唱壇は M.フィエーゾルおよび G.ダルマタの作。両側の長い壁には,ボティチェリ,ギルランダイオ,C.ロッセリ,シニョレリ,ピントリッキオ,P.コシモなどのキリストの生涯を画題としたフレスコが並ぶ。さらに有名なのはミケランジェロの天井画と祭壇壁画。 1508~12年制作の天井画は,中央に「天地創造」「楽園追放」「ノアの洪水」など旧約聖書の9場面を描き,祭壇壁画は 36~41年,パウロ3世のために制作された『最後の審判』が有名。ラファエロもタペストリーの下絵を制作した。

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