ペンク(読み)ぺんく(英語表記)Albrecht Penck

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペンク」の意味・わかりやすい解説

ペンク(Walther Penck)
ぺんく
Walther Penck
(1888―1923)

ドイツ地形学者。地形学者のA・ペンクを父としてウィーンに生まれる。ウィーン大学で物理学、博物学を修め、1907年ベルリン大学に入学し、数学、物理学、鉱物学を専攻した。1908年には父とともにアメリカに渡り、ハワイ、日本、中国を経て帰国した。1910年にはハイデルベルク大学で鉱物学、地理学を学んだ。1911年ウィーンで地質学の研究に従事し、1912年にはブエノス・アイレスの研究所に招かれて地質学の研究を担当し、1915年にはイスタンブール大学教授に就任した。1918年にドイツに帰国し、ライプツィヒで研究を続け、とくに斜面の平行後退説、原初準平原や山麓階(さんろくかい)などに新しい見解を述べ、W・M・デービス地形輪廻(りんね)説と対立したが35歳で夭折(ようせつ)。その著『地形分析』は不朽の名著とされている。

[市川正巳]


ペンク(Albrecht Penck)
ぺんく
Albrecht Penck
(1858―1945)

ドイツの地理学者、とくに地形学者として著名。ライプツィヒ近くのロイドニッツに生まれる。ライプツィヒ大学で地質学を学び、その後まもなく地理学を専攻した。ウィーン大学教授を経て、1906年にベルリン大学教授となり、地形学の体系化に貢献し、ドイツ地理学界の元老であった。とくに地形の分類とアルプスの氷河研究の権威であった。1908年、息子のワルターとともにアメリカ、エジプトなどを調査旅行し、1909年(明治42)にはアメリカからハワイを経て来日したことは有名である。主著に『地表形態学』全2巻(1894)、『氷期のアルプス』(1909)がある。

[市川正巳]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペンク」の意味・わかりやすい解説

ペンク
Penck, Walther

[生]1888.8.31. ウィーン
[没]1923.9.29. シュツットガルト
ドイツの地形学者。地理学者 A.ペンクの子。ウィーン大学で物理学,博物学を修めたのち,ベルリン大学,ハイデルベルク大学で鉱物学を学ぶ。コンスタンチノープル大学教授 (1915) を経て,ライプチヒ大学教授 (21) 。 W.デービス浸食輪廻説を批判して,地形分析論を唱えた。また,斜面形の平行後退説,原初準平原,山麓階などの新概念を提唱したことでも知られる。著書『地形分析』 Die morphologische Analyse (27) 。

ペンク
Penck, Albrecht

[生]1858.9.25. ライプチヒ
[没]1945.3.9. プラハ
ドイツの地理学者,地質学者。ドイツの近代地理学に大きな影響を与えた。また氷期における層位学と氷河地形学の基礎をつくった。ライプチヒ大学に学び,1883年ミュンヘン大学より博士号を受けた。 85~1906年ウィーン大学教授。 06年ベルリン大学教授兼海洋博物館館長。極地方を除くすべての大陸を旅行。 08年エール大学で講義。 09年コロンビア大学客員教授。 100万分の1の世界地図を作成。主著に『地表の形態学』 Morphologie der Erdoberfläche (2巻,1894) ,『氷河期のアルプス』 Die Alpen im Eiszeitalter (3巻,1901~09) がある。

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