「人文(じんもん)地理学」ともいう。自然地理学と並ぶ地理学の二大分科の一つ。人文は「にんもん」とも読まれ、古くから使われた天文(てんもん)、地文、水文と並ぶ人に関する学問の意味である。現代の人文地理学は、人間活動の空間分化と組織、そして人間の自然環境の利用について研究し、文化地理学、社会地理学、経済地理学、政治地理学、歴史地理学などに大別される。人口、民族、集落、都市、農業、工業、商業、交通などについて、それらの地理的分布、地域的構造、環境との関係を研究する。
[木内信藏・菅野峰明]
大地を住所とする人間は、取り巻く自然および社会環境と断ちがたい関係をもっている。とくにこの関係は文化の発達や社会の必要に応じて変化を示しており、人間と環境との関係は地域的な変化を示し、それらの関係を研究することが、人文地理学の主要な課題の一つである。
近代地理学における環境の研究は、フンボルトがアンデス山地の高度帯に対応する植生の調査を行い、生態学(エコロジー)研究の幕を開くことによって始められた。エコロジーはギリシア語のオイコスoikosから出たことばで、「住所の学」をさしている。のちに植物生態学、動物生態学が体系化され、ついで人間生態学(ヒューマンエコロジー)が成立した(1930年代)。ラッツェルは『人類地理学』(Ⅰ巻1882、Ⅱ巻1899)のなかで、人間と環境との科学的考察を進めた。その主要課題として、運動・地理的位置・空間を取り上げた。彼は、「人間の意志は破壊できない要素であり、地理的条件は表面的な方向づけを扱うにすぎぬ」としている。サウアーは1955年に、生物学、経済学、社会学など多くの専門家を集め、「地表面を変える人間の役割」と題するシンポジウムを開き、そのなかで火の使用や、開墾などが大地を破壊したことを指摘している。1970年以降は、世界的な人口増加と都市集中、工業化が進んで環境問題を生み出しているが、人文地理学は、人間の環境への適応、環境の評価と調整などについて、世界的ないし地域的な研究に多数貢献している。
[木内信藏・菅野峰明]
リッターは人文地理学の対象を「事物に満たされた地表面の空間」に置いた。地域の研究は自然地理学、人文地理学を通じて、共通する地理学の基礎である。とくに地誌学としての地理学を育てたのはリヒトホーフェンであった。実地調査を重ね、総合的視点に基づく優れた地誌は、主としてドイツ、フランスなどの地理学者によって著された。なかでもブラーシュとその弟子たちによる『世界地誌』(1946)はもっともまとまった成果であった。地誌の理論的研究は、ヘットナー、ハートショーンRichard Hartshorn(1899―1992)らにより、また地域の本質や地域区分などについては、農業地理のウィトゥルセイDerwent S. Whittlesey(1890―1956)、都市地理のディキンソンRobert E. Dikinson(1905―81)らによって進歩をみた。
ブラーシュは人文地理学の対象を人々の生活様式に置き、地域を統一体として考察した(1922)。それには、選択された指標に基づく地域区分によって分析を進める方法が用いられ、発達をみた。1960年代より成長した地域科学は計量的分析を用いる研究で、地誌学、歴史地理学からは批判が強い。また、第二次世界大戦以来アメリカで発達し、日本においても広まった地域研究は、現地語の学習を基礎とし、地理学、歴史学、政治学などが学問の境界領域を超えて行う学際的研究である。現在、地理学者による地域研究は、インド、フィリピン、イラン、東アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、アンデス、ブラジル、オセアニアなどにおいて成果をあげている。
[木内信藏・菅野峰明]
地域の独自性とその説明を強調する伝統的地理学の研究方法は、1950年代に一般法則を追求する科学的方法とは合致しないという理由で批判され、それにかわって仮説、理論、検定という法則定立的な研究が指向された。これを可能にしたのが、コンピュータの発達による計量的方法(確率論・統計学)の導入と普及であった。この計量革命は人文地理学者に大きな影響を与えた。
しかし、1970年代になると論理実証主義に基づく法則定立的な地理学も空間を形成する主体である人間を軽視しているということで批判され、人文地理学内部では、分野の専門化と複数の地理学方法論が共存することになった。当初、経済地理学と都市地理学は計量的方法の導入と立地分析によって発達し、後に社会地理学、政治地理学、文化地理学、資源管理論も発展した。しかし、これらの変化は研究方法や研究内容を完全に覆すものではなく、既存の研究に新しい研究を積み上げていった。人間と個人の態度、価値観や感情を重視する人文主義地理学と、世界の現状を無条件で受け入れることを批判するラディカル地理学がおこり、前者は文化地理学と歴史地理学、後者は都市地理学と経済地理学に大きな影響を与えた。1980年代からは、空間現象についての情報をコンピュータによって処理してデータベースを作成し、それらを地図化して、現象間の分析を行う地理情報システム(GIS、Geographic Information System)が開発され、小売店の立地分析、公共施設の配置、不動産情報、交通情報、土地利用計画、環境アセスメントなど広い分野で利用されるようになってきた。
[菅野峰明]
『浮田典良著『総観地理学講座9 人文地理学総論』(1984・朝倉書店)』▽『木内信藏著『地理学基礎講座3 人文地理』(1985・古今書院)』▽『西川治著『人文地理学入門』(1985・東京大学出版会)』▽『京都大学地理学研究会編『地図と人文地理学』(1993・ナカニシヤ出版)』▽『西川治著『人文地理学』3訂版(1996・日本放送出版協会)』▽『菊地一郎・北畠潤一著『新訂 地理的認識と地域像――新しい人文地理学』(1997・大明堂)』▽『山本正三・奥野隆史・石井英也・手塚章編『人文地理学辞典』(1997・朝倉書店)』▽『杉浦芳夫・中俣均・水内俊雄・村山祐司編『シリーズ人文地理学1~6、8~10』(2003~ ・朝倉書店)』▽『今井清一著『人文地理学概論 上』改訂増補版(2003・晃洋書房)』▽『高橋伸夫編『21世紀の人文地理学展望』(2003・古今書院)』▽『藤岡謙二郎著『五訂 人文地理学』第2改訂版(2004・原書房)』▽『杉浦章介・松原彰子他著『人文地理学――その主題と課題』(2005・慶応義塾大学出版会)』▽『實清隆著『人文地理学』(2006・古今書院)』▽『ポール・ヴィダル・ド・ラ・ブラシュ著、飯塚浩二訳『人文地理学原理』上下(岩波文庫)』
地理学はまず系統地理学と地誌学とに分けられるが,系統地理学は自然地理学と人文地理学とから成り立つ。人文地理学の研究対象は,人間の生活舞台あるいは生活空間(エクメーネ)としての地球表面,土地空間である。その研究の目的は,人文地域現象,ならびに人文地域系を把握し,その形成要因を究明することにある。具体的にはさまざまな人間集団が,それぞれの風土に適応して作り出し形成した生活様式,生活環境,人文生態系(ヒューマン・エコシステム)はどのようであるか,たがいに生活空間をどのように棲み分けているか,それらの人文生態系はどのような文化景観を表しているのか,言い換えれば,地球表面に展開している人文現象にはどのような地域的差異が生じているのか,そしてさまざまな地域集団はたがいにどのような関係で結ばれているのか,こうした人文地域現象の形成過程,変遷過程ならびにそれらの空間的配列の仕方,すなわち人文地域系を把握して,その形成要因を究明することにある。歴史的に形成されてきた複雑な人文地域を研究するには専門的な分業が必要であり,そのために歴史地理学,社会地理学(人口地理学,集落地理学),経済地理学(農・林・漁業地理学,商業・交通地理学,消費地理学),政治・行政地理学,文化地理学(言語地理学,宗教地理学,民族・民俗地理学)などが発達している。
人文地理学の歴史は古く,古代ギリシア人の所説に,自然環境とくに気候条件が人間の気質や生活,都市の立地などに及ぼす影響についての諸論が現れている。その後,ヒッポクラテスやアリストテレスによって代表される環境論は,わずかに修正された程度で17~18世紀の啓蒙主義時代まで存続した。18~19世紀には科学的探検が盛んになり,膨大な地理的知識が蓄積された。そうした成果に基づいて19世紀後半には,C.リッターの大著《自然と人間の歴史に関する地理学》(19巻)によって人文地理学の基礎が作られた。この遺産を継承し,かつA.vonフンボルトやC.ダーウィンらによって育てられた生物地理学的ないし生態学的方法を適用して,人文地理学(人類地理学Anthropogeographie(ドイツ語))の体系書《アントロポゲオグラフィー》を初めて著述したのがF.ラッツェルである。その第1巻(1882)は地理学を歴史に応用することを目的とし,第2巻(1891)は〈人類の地理的分布〉の考察にあてている。さらに1897年にラッツェルは《政治地理学》を著し,その2年後には《人文地理学》の第1巻を大幅に改訂し,人文地理学の方法論をより明確に示したのである。
その特色は,全地球的把握,民族の移動論,人文事象の分布論,動的環境論などに認められる。すなわち(1)世界史を人類の生活空間の世界的な展開過程としてとらえ,民族ないし人間集団の移動経路に及ぼす自然環境の影響,民族間の抗争,混血,文化交流などを考慮することが肝要である。(2)居住環境の自然条件が住民の特質形成に作用するとしても,それには長い年月が必要である。(3)人類の定住史は比較的新しく,人類の諸集団は,その長い狩猟採集・遊牧時代を通じて広域にわたる移動生活をつづけてきた。(4)ゆえに現居住地の自然条件の作用について論じる前に,その住民がどこから来て,いつからその土地に移り住んだのかを調べねばならない。(5)その土地で獲得された文化要素と,それ以前の故郷からもたらされた要素とを区別する必要がある。(6)特定の民族集団が移動した経路を復元する手がかりの一つは,遺跡や遺物の分布である。分布の空間形態には,同心円状,帯状などいくつかのパターンが認められる。こうした分布形態と環境条件を関連づけて考察すること。(7)居住場所を選択する人間の主体性を考慮すること。以上のような見方と方法によってラッツェルは地理的環境論の科学化に努力したのである。ただし《人文地理学》の第2巻の内容について判断するかぎり,集落地理学や民族地理学の概要も扱われているが,人口地理学の分野が最も充実し,経済地理学の分野はまだ不十分であった。
ラッツェルの人文地理学は,フランス,イギリス,アメリカ合衆国など,ひいては日本にも強い影響を与えた。フランスのP.ビダル・ド・ラ・ブラーシュは,《人文地理学原理》等の著作において,さらに歴史的要因や社会的中間項の分析,生態学的考察,該博な知識に基づく比較研究によって,ラッツェルの決定論的残滓を拭い去り,人文地理学を人文・社会科学の一員として発展させる基礎を築いた。
その後の人文地理学は,性急な環境論的解釈の誤りを防ぐためにも,より実証的・客観的調査研究に力を注ぎ,統計の発達による社会経済現象の分布論的解析,類型的地域区分に基づく比較研究,フィールドワークによる地域現象,文化景観の形態学的・生態学的考察により,科学的地誌とくに経済地理の成果を増大させた。 第2次大戦の開始ごろより,国土計画や異なる環境への適応法といった人文地理学の応用面の研究も盛んになり,政治地理学や地政学の発達もみられた。戦後もその延長として,地域計画,都市計画,立地政策等に役立つべく,理論化と予測化を目ざす計量的地理学が興り,1960年代にはその絶頂期に達した。チューネン圏,シカゴ学派の都市生態モデル,クリスタラー,レッシュの地域モデルのみならず,各種の力学的空間モデルなどの適用や,コンピューターの利用による多変量解析法とかシステム理論や行動科学の方法などの導入によって,地域科学(リージョナル・サイエンス)と競合しながら,社会経済活動の空間的組織や動態の解明に熱中したのである。こうした動きとともに,20世紀後半の人文地理学は,国際的には南北問題や資源・エネルギー問題,人口爆発と飢餓問題,難民問題など,国内的には地域的不平等,大都市問題,環境問題をはじめとして,現代社会のさまざまな難題に直面して,自らの存在理由,社会的使命を根源的に反省して,人道主義の理念により忠実な新しいヒューマニスティック地理学,福祉的地理学への志向を強めている。その関心の対象としては,計量的地理学では捨象されがちな人間の意思,知覚,感情,選好性といった主体性,主観性が重視され,方法論的には現象学,知覚心理学,行動科学,システム工学等への接近が目だつ。学際性,総合性をうたって学問の再編成が試みられている今日,本来そうした期待をかけられて生まれた人文地理学は,その真骨頂を発揮する時代を迎えたのである。
執筆者:西川 治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…地理学はまず系統地理学と地誌学とに分けられるが,系統地理学は自然地理学と人文地理学とから成り立つ。人文地理学の研究対象は,人間の生活舞台あるいは生活空間(エクメーネ)としての地球表面,土地空間である。…
…ふつう地理学は,系統地理学systematic geographyまたは一般地理学general geographyと,地域地理学regional geographyまたは地誌学,特殊地理学specific geographyとに大別される。 系統地理学は,自然地理学と人文地理学とに分けられる。系統地理学では,空間複合体の中から,たとえば地形,人口,農業,交通,都市などの要素または事象を抽象して分析するので,一国,大陸,世界全体にわたる分布形態,分布の粗密を図示したり,分類や比較研究を行いやすい。…
※「人文地理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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