改訂新版 世界大百科事典 「氷河地形」の意味・わかりやすい解説
氷河地形 (ひょうがちけい)
glacial landform
流動する氷河は岩盤を削り,岩屑を運び,堆積する作用があり,これらの作用によって形成される独特の地形をいう。個々の氷河地形については,北欧各地で使われている呼名がそれぞれの国で学術用語となっている。日本で氷河地形がみられるのは日高山脈や日本アルプスの山頂付近だけで,和名はほとんどない。そのため専門家は原語を用いることが多く,訳語にはいくぶん混乱がある。
氷河の流動は流水の10万分の1程度の速さしかないが,質量と粘性が大きいため地形をつくる力は強大である。氷河地形の浸食作用は氷河の底面で行われるため直接観察することはできないが,現在は1万年くらい前に終わった氷期の後の氷河縮小期であるから,氷期の氷河でつくられた新鮮な氷河地形をふんだんに観察することができる。
氷河の浸食作用と地形
岩屑を含んだ氷河が底面を擦ると岩盤がすり減り摩耗される。氷河から流れ出す融氷水が白く濁っているのは摩耗によって生じた粘土が含まれているからで,氷河乳と呼ばれるほどである。岩盤や岩石の表面に磨かれた面や擦り傷(氷河擦痕glacier striae)が残っていれば,氷河作用が存在したことの証拠とされる。基盤岩の突出部の下流側などのように局部的に生じた負圧部では,岩塊が下流側にもぎ取られ(プラッキングplucking),ごつごつした地形がつくられる。氷河によってつくられる小さな凸地形としては羊背岩roche moutonnée(フランス語。羊群岩ともいう),鯨背岩whaleback rockなど,凹地形としては擦痕溝や大きな樋(とい)のような形をしたグルーブgrooveなどがある。これらの地形は氷河の浸食作用がどのように行われるのかを示唆している。またこれらの地形から,かつての氷河の流動方向を知ることができる。
5万分の1の地形図に表現される程度の大きさの地形としては,氷食岩峰,カール(圏谷),氷食谷などがある。谷の最上流部にはアイスクリームをスプーンでしゃくったような形をしたカールが形成される。カール地形は,比較的平坦な谷底(カール底)とそれを取り囲む急崖(カール壁)とからなる。カール底には氷食湖が形成されることがある。カール底はほぼ雪線の高さに形成されるので,氷期に形成された圏谷底高度から当時の雪線高度を推定することができる。急なカール壁を両側にもつ稜線は瘦せ尾根(アレートarête(フランス語)あるいはグラートGrat(ドイツ語))となり,三方からカール壁に囲まれるところには,マッターホルンで有名なホルンHorn(ドイツ語)あるいはエギーユaiguille(フランス語)と呼ばれる鋭峰が形成される。
カール底から下流部へは横断面形がU字形をした氷食谷(U字谷)が続く。小さな支谷の水は本流のU字谷の急崖で滝となって本流に合流し,懸谷と呼ばれる合流の仕方をする。U字谷の急崖には岩屑が落下して形成される崖錐が発達している。急崖の上部には谷に沿ってほぼ同じ高さに肩がついていて,そこから上は傾斜が急に緩やかになる。
氷食谷の縦断面形は階段状になっていることが多く,湖が形成されるほど平坦な部分と滝のあるような急崖(谷柵)とが交互に現れる。下流部では谷を横切る末端モレーンend moraine(終堆石)が湖を形成していることもあり,堆積が進み,谷底平野が形成されている。さらに下流では最終氷期に形成された谷底平野が段丘化していることが多い。
フィヨルドは海岸付近で氷期に形成された深い氷食谷に海が侵入して形成されたものである。急傾斜の谷壁に囲まれた湾の深度は2000mにも達するところさえある。フィヨルド海岸は複雑に入り組んだ海岸線となり,ノルウェーの例が有名である。
もともと起伏が小さい土地が氷河に覆われると,地質構造の影響を強く受けたなだらかな波状の地形が形成される。ドラムリンdrumlin,エスカーesker(アイルランド語eiscirに由来),モレーンなどの堆積地形によるせき止めもあって,ハドソン湾周辺(カナダ)のように湖沼地帯になることがある。氷河時代に氷河の表面より上にそびえていた山地は,山麓部が氷食を受けてなだらかな地形となっているのに,山頂部はごつごつした地形となる。これはヌナタクnunatak(エスキモー語に由来)と呼ばれる。南極の山地は下部を氷床に覆われているが,やはりヌナタクと呼ばれる。
氷河の運搬・堆積作用と地形
氷河の浸食作用や谷壁の崩壊などによって氷河に取り込まれた岩屑は,氷河の流動とともに下流に運ばれ堆積する。大陸氷河(氷床)の底に堆積するときはドラムリンという地形をつくる。これは高さ数十m以下の丸みを帯びた高まりで,氷河が流動していた方向に平行に細長く数百mないし数kmも延びている。一般に氷河の底面で堆積した岩屑物をグランド・モレーンground moraine(底モレーン,底堆石)といい,氷河の流動方向に平行(まれには直交)した波状の小さな起伏の地形をつくる。
また前進する氷河はブルドーザーのように,前面や側面の堆積物を押して氷舌端を縁取るようにモレーンの堤防状の高まり,すなわちモレーン丘moraine ridge(堆石堤)をつくる。このようにして形成されたものを末端モレーン(終堆石),側方モレーンlateral moraine(側堆石)という。モレーン丘の高さは数十m以下である。氷河時代につくられたモレーン丘列は氷河の後退・前進の歴史を記録しているわけで,これから気候変化の傾向を読み取ることができる。
流水はものを運ぶとき大きいものと小さいものをふるい分ける作用があるが,氷河にはそれがないので,氷河成堆積物は巨大な岩塊から粘土までごちゃごちゃにいりまじった乱雑な層相を示すという特徴がある。末端モレーンの堆積物はさらに氷河で押される前の堆積物の特徴を引き継いでいるわけで,貝化石を含む海成層,泥炭層,流水で円磨された扇状地礫層などからなる堆石の存在が知られている。氷河堆積物はその粒度組成に特徴があるだけでなく,氷河の流動に起因する圧縮力の作用を受けているため,粒子の並び方などに特色がある。これは氷河の底面に堆積したグランド・モレーンの場合にとくに顕著である。
氷河の消耗域では氷河の下にトンネルができて流水がある。そこに堆積した砂礫は,氷河が消滅した後はうねうねと細長く続く堤防状の高まりとなる。これはエスカー,スウェーデンでオースåsなどと呼ばれる。幅は数mないし3km,高さは2~3mから200mくらいまで,長さ100mくらいから500kmに及ぶ例さえある。これを利用して北ドイツ平原のように高速道路がつくられたことがある。
氷河の末端から流れ出す川は融氷水起源で,季節変化はあるものの,ふつう流量は安定している。融氷水流には礫の多い物質が大量に供給されるため,流路は網状となり広い氾濫原が形成される。山間盆地内に形成されたものはバレー・トレインvalley train,広い平野部に形成されたものはアウトウォッシュ・プレーン(アイスランドでサンダーsander)と呼ばれる。大陸氷河や山麓氷河の場合には一つの氷舌にいくつかの融氷水流の出口があり,合流扇状地状のアウトウォッシュ・プレーンが形成される。氷期が終わり氷舌端が後退した後は,そこに湖が形成されるなどして,流路は一本となり,砂礫の供給が激減するため,河川は川底を掘り下げ,氷期のアウトウォッシュ・プレーンは段丘化する。アルプス北麓のバイエルン地方などにはこのような地形が広く分布している。
氷河の間接的影響を受けた地形
大陸氷河(氷床)は厚さが2000mを超えるほどになるので,地殻にその重量分の圧力をかける。しかし氷期が終わり氷床が消滅すると,圧力が減るので釣合いが保たれるように土地が隆起する。カナダのハドソン湾周辺や北欧バルト海周辺では6000~7000年前の海岸線が標高200m近くまで隆起している。このような現象を氷河性均衡glacial isostasyという。
氷期には陸上に大量の水が氷として蓄積されるので,海水が減少する。氷期の氷量と現在の氷量の差の推定値を海洋面積で除し,132mという値が得られている。海底地形の研究からも氷期には100m以上の海面の低下があったことが知られている。このように陸上の氷河の消長によって海面高が変化することを氷河性海面変化という。当然のことながら,第四紀を通じて繰り返された氷河性海面変化は,世界中の海岸地形の発達を規制し,とくに地殻の隆起地域では海成段丘地形としてその証拠が明瞭に残されている。
執筆者:野上 道男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報