フランスの画家。トゥールニュで生まれる。リヨンで学び1750年ころパリに出てアカデミーでナトアールの弟子となる。しかし公的な道を歩まず,むしろオランダ絵画の写実性と逸話性を範とし,55年のイタリア遊学に際しても,もっぱら絵画的情趣を持ち帰っている。こうした,ディドロのいう〈繊細で感受性にみちた魂〉で主題を扱う態度が,1716年サロン出品の《村の結婚式》以来の新しい風俗画として実る。ディドロたちによって〈道徳的絵画〉として称揚されたこの種の作品は,今日から見れば,ロココ的甘美さの市民化,家庭化にすぎず,むしろ,《ソフィー・アルヌー》(ロンドン,ウォーレス・コレクション)などの肖像に,緻密な筆致と甘美な感傷性をもつグルーズの才能が見いだされる。大革命後,新古典主義の風潮によって彼の業績はなかば埋没したが,しかし大衆的な名声は最晩年まで持続した。
執筆者:中山 公男
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フランスの画家。トゥールニュに生まれ、リヨンで学んだのち、1750年ころパリに出る。1755年、サロン出品の『家族に聖書を読みきかせる父親』(パリ、ルーブル美術館)で世評を高め、1769年アカデミー入り。ロココ風の甘美さと、オランダ絵画の精密な描写、それに若干の教訓性を帯びた主題の結合は、当時「道徳絵画」を求めたディドロたちの主張に迎えられた。『村の結婚』『こわれた瓶』(ともにルーブル美術館)などが代表作だが、ディドロたちの称揚にもかかわらず、本質的にはそれらはロココ的感傷主義の一側面でしかない。むしろ、古典主義的な歴史画、あるいはレンブラントの影響を思わせる肖像画の分野に彼の力量は発揮されている。
[中山公男]
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…18世紀にディドロがgenreという語を使ったとき,花,果実,動物,山,森,林,家庭生活などの特殊な〈種類〉の絵を専門とする画家を意図していた。またフランスの画家J.B.グルーズが1769年,アカデミー入りを許可されたとき,初めて〈Peintre du genre〉と称号されたが,それは彼が当時の中産階級の道徳・教訓を主題とする〈特殊なタイプの絵画〉を敷衍させた画家という意味であった。19世紀になりブルクハルトが〈ネーデルラントの風俗画〉(1874)を講じたとき,ようやく今日とほぼ同じ意味での風俗画を意図したのである。…
※「グルーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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