ホブド(その他表記)Khobd

デジタル大辞泉 「ホブド」の意味・読み・例文・類語

ホブド(Khovd/Ховд)

モンゴル西部の都市。ホブド県の県都。アルタイ山脈の北西麓、ブヤント川沿いに位置する。オイラートジュンガル部の首長ガルダンが支配していたが、清朝により討伐。1730年に清朝が城を築いて統治中心地とし、ロシアとの交易の中継地として栄えた。かつての城壁サンギーンヘレムが残っている。また、周辺には多くの少数民族が居住することで知られる。コブド

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改訂新版 世界大百科事典 「ホブド」の意味・わかりやすい解説

ホブド (科布多
)
Khobd

モンゴル西部のホブド・アイマク(アイマクとは日本の府県に当たる)の中心都市。コブドともいう。古くからホブドと呼ばれ,人民共和国成立後ジルガラントと改称されたが,今は旧名のホブドに戻っている。首都ウランバートルから1494kmの距離にあり,ボイント河の東岸,急峻な山の麓に位置する。市にはホブド・アイマクの党・政府行政機関が置かれる。18世紀,ジュンガルの支配に成功してモンゴリア北西部を手に入れた清朝が,この地域重要性に着目し,ホブド城を築いたのに始まる。清朝はホブド参賛大臣をこの地に駐在させ,ホブド,アルタイ地域を管轄した。またホブドはロシアとの貿易中継地としても繁栄を誇っていた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホブド」の意味・わかりやすい解説

ホブド
ほぶど
Khovd

モンゴル西部、ホブド県の県都。アルタイ山脈の山麓(さんろく)、ブヤント川の沿岸に位置する。コブドともいう。人口2万6023(2000)。北はシベリア、東はウランバートル、西は中国に通じる道路交通の要衝で、西部モンゴルの経済と文化の中心地である。町の歴史はジュンガルを征討した清(しん)朝が、1730年この付近に北西モンゴルの守備基地を築いたのに始まる。清朝は定辺左副将軍を置き、のちにはホブド参賛大臣を駐在させて、アルタイ方面の鎮撫(ちんぶ)にあたらせた。1762年町は現在の場所に移り、やがて清とロシアの貿易中継地としても繁栄するようになった。1912年の革命後ジルガランタと改名されたが、1963年旧名のホブドに戻った。周辺はハルハ以外にザハチン、トルグート、ミャンガト、ウリヤンハイカザフ、ドルベトなど、14に及ぶ民族が居住する同国最多の少数民族居住地域である。

[吉田順一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホブド」の意味・わかりやすい解説

ホブド
Hovd

モンゴル西部,ホブド州州都。モンゴル西部の中心都市。モンゴルアルタイ山脈東麓,ホブド川支流の河畔標高 1390mにある。 1767年にチベット仏教寺院を中心に建設され,1921年の革命前には清朝のホブド (科布多) 辺疆区の中心地,ロシアとの交易地であった。 25年から一時ジャルガラント Jargalantと称した。首都ウラーンバートルと定期空路で結ばれているほか,隣接する各州の州都と自動車道が通じている。人口約2万。

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百科事典マイペディア 「ホブド」の意味・わかりやすい解説

ホブド

コブドとも。漢字では科布多。モンゴル西部のホブド・アイマク(州)の中心都市。人民共和国成立後,一時はジルガラントと称した。道路交通の幹線上に位し,交易が盛ん。18世紀にモンゴリア西部を占領した清朝が,この地域の重要性に着目して建設した城に始まる。
→関連項目ハル・ウス・ノール[湖]

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