モンゴル西部のホブド・アイマク(アイマクとは日本の府県に当たる)の中心都市。コブドともいう。古くからホブドと呼ばれ,人民共和国成立後ジルガラントと改称されたが,今は旧名のホブドに戻っている。首都ウランバートルから1494kmの距離にあり,ボイント河の東岸,急峻な山の麓に位置する。市にはホブド・アイマクの党・政府行政機関が置かれる。18世紀,ジュンガルの支配に成功してモンゴリア北西部を手に入れた清朝が,この地域の重要性に着目し,ホブド城を築いたのに始まる。清朝はホブド参賛大臣をこの地に駐在させ,ホブド,アルタイ地域を管轄した。またホブドはロシアとの貿易中継地としても繁栄を誇っていた。
執筆者:若松 寛
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モンゴル西部、ホブド県の県都。アルタイ山脈の山麓(さんろく)、ブヤント川の沿岸に位置する。コブドともいう。人口2万6023(2000)。北はシベリア、東はウランバートル、西は中国に通じる道路交通の要衝で、西部モンゴルの経済と文化の中心地である。町の歴史はジュンガルを征討した清(しん)朝が、1730年この付近に北西モンゴルの守備基地を築いたのに始まる。清朝は定辺左副将軍を置き、のちにはホブド参賛大臣を駐在させて、アルタイ方面の鎮撫(ちんぶ)にあたらせた。1762年町は現在の場所に移り、やがて清とロシアの貿易中継地としても繁栄するようになった。1912年の革命後ジルガランタと改名されたが、1963年旧名のホブドに戻った。周辺はハルハ以外にザハチン、トルグート、ミャンガト、ウリヤンハイ、カザフ、ドルベトなど、14に及ぶ民族が居住する同国最多の少数民族居住地域である。
[吉田順一]
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