翻訳|Port Said
エジプト北東部,スエズ運河の地中海側の入口にある都市。人口47万(1996)。アラビア語ではブール・サイードBūr Sa`īd。マンザラ湖という塩湖と地中海の間の狭い砂地に,1859年スエズ運河工事に伴い建設された。その名は工事開始当時のエジプト総督(ワーリー)であったサイード・パシャにちなんで名づけられた。それ以前は人口約4000の村にすぎなかったが,69年に運河が開通すると人口が急増した。1925年ポート・サイドが手狭になったので技師たちの住宅用地として対岸にポート・フアードが建設された。二つの町は区画整理された美しい町並みが残る近代都市で,当時はこの地に本社のあった万国スエズ運河会社が管理していた。運河の入口には運河会社の創設者レセップスの像が建てられていたが,その後撤去された。56年運河の国有化が宣言され,その所有をめぐってスエズ戦争(第2次中東戦争)が勃発し,町はイギリス,フランス両軍の攻撃を受けて破壊された。67年には第3次中東戦争が起こり運河は閉鎖されたが77年に再開され,サーダート大統領が出席して祝典が華々しく挙行された。ここはフリーゾーンで免税地帯であるため物価が安く,かつてエジプト人の買物客でにぎわった。しかし結局町を出てエジプトに入国するとき課税されるので,一時ほどはやらなくなった。東西二つの埠頭から成る外港は船舶の往来が頻繁で,現在では石炭や石油の巨大な貯蔵庫やドックなどがある近代的な工業都市として発展を続けている。
執筆者:吉村 作治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
エジプト北東部、スエズ運河の地中海側入口にある港湾・工業都市。ポート・サイド県の県都。アラビア語ではブール・サイドBu Sa'idという。人口47万2335(1996)。地中海とマンザラ湖に挟まれた帯状の砂州の上、運河の西岸にある寄港地で、米、綿花、塩の積出し港である。工業は石油精製、化学、電機、繊維などが立地する。運河沿い鉄道の起点で、カイロとは鉄道のほか空路でも結ばれる。1859年にスエズ運河の建設基地として創設され、当時のエジプト総督サイード・パシャにちなんで命名された。運河完成後は、国際的港湾都市、スエズ運河会社の所在地として発展し、造船などの工業もおこり、カイロ、アレクサンドリアに次ぐ都市に成長した。しかし1956年7月大統領ナセルがスエズ運河の国有化を宣言したため、同年10月末スエズ戦争が起こり、市はイギリス、フランス両軍に攻撃され、運河も5か月閉鎖された。また67年6月、第三次中東戦争でのイスラエル軍の攻撃で戦災を受け、運河も再度閉鎖された。運河東岸がイスラエル占領地となり市の復興の見通しもたたなかったが、74年イスラエル軍が撤退、75年運河も再開して市の再建が始まった。現在はもとの活気を取り戻し、人口も増加している。市街地は碁盤目状の街路をもち、ヨーロッパ風の建物が並んでいる。運河の東岸には付属港のポート・フワドがあり、ここも工業地となっている。
[藤井宏志]
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