マセダ(読み)ませだ(英語表記)José Maceda

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マセダ」の意味・わかりやすい解説

マセダ
ませだ
José Maceda
(1917―2004)

フィリピンの作曲家、民族音楽学者。マニラ生まれ。フィリピンを代表する作曲家であると同時に、自国をはじめ東南アジアの民族音楽研究の第一人者である。1935年マニラ・ミュージック・アカデミーを卒業し、37年パリでナディア・ブーランジェNadia Boulanger(1887―1979)に作曲を、アルフレッド・コルトーピアノを師事する。コンサート・ピアニストとして世界各地で演奏を行っていた経歴ももつ。民族音楽学者としての業績も大きく、フィリピンにおける民族音楽の指導者でもある。

 作曲家としてのマセダは、アジアの伝統音楽の語法を用いて独自の音楽をつくり出した。代表作である『ウドゥロッ、ウドゥロッ』(1975)は、数人から1000人まで加わることができる声と竹の楽器のための作品である。この曲は、だれでも演奏できるようなシンプルなリズムを複数の人で演奏することにより、複雑な音や色彩が生まれることを意図した作品である。「ウドゥロッ、ウドゥロッ」とはフィリピンの公用語タガログ語で「あちらこちらから」という意味。以降『カセット100』や、ヨーロッパの通常のオーケストラをつかった『ディセミネーション』(1990)、サントリーホール委嘱作品『ディステンペラメント』(1992)などを発表した。

 1997年には『ゴングと竹のための音楽』Gongs and Bamboosを作曲、この曲はインドネシア、ジャワ島ガムラン、日本の竜笛雅楽で使われる横笛)、フィリピンの竹の楽器、コントラ・バスーン、子供の合唱のための音楽である。雑誌でのインタビューで「意識的に西洋のスタイルから離れてきたのか」という問いに対して、マセダは「いろいろな要素があわさって作曲家は自分の個人的な空間感覚のほうに向かっていくのだと思う。(中略)その選択はもはや意識的なものではない」(『クラシック音楽の20世紀 作曲の20世紀Ⅱ』)と答えている。1990年代以降日本でも彼の音楽は多く紹介され、たびたび来日していた。

[小沼純一]

『高橋悠治編訳『ドローンとメロディ――東南アジアの音楽思想』(1989・新宿書房)』『『クラシック音楽の20世紀 作曲の20世紀Ⅱ』(1992・音楽之友社)』

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百科事典マイペディア 「マセダ」の意味・わかりやすい解説

マセダ

フィリピンの作曲家,民族音楽学者。フィリピン・東南アジアの民族音楽研究で世界に知られ,作曲家としてもきわめてユニークな存在。パリでブーランジェコルトーに師事したのち米国で学び,早くからピアノ奏者として活動。第2次大戦後,パリでミュジック・コンクレートの実験に参加し,自然音を取り込んだ音楽のあり方に示唆を得る。1975年にマニラで初演され,のち京都でも演奏された《ウドゥロッ・ウドゥロッ》など,作曲家−演奏者−聴衆の序列を取り払った音楽を探求。《ディステンペラメント(平均律の解体)》(1992年)などの管弦楽曲にも,東西の音楽に精通したマセダならではの音空間が創造されている。

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マセダ

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