日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
マルグリット・ド・バロア
まるぐりっとどばろあ
Marguerite de Valois, La Reine Margot
(1553―1615)
フランスの王妃。フランス国王アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの娘。兄シャルル9世から「マルゴ」というあだ名をつけられ、通称となる。旧教と新教の宥和(ゆうわ)策として、新教徒である後のアンリ4世、アンリ・ド・ナバールと結婚させられたが、2人の間に子はなく、また夫は国事に多忙のうえ、ガブリエル・デストレほか多数の寵妾(ちょうしょう)におぼれて妻を顧みなかった。生来、多情で華美を好むマルグリットは、廷臣たちとの情事にふけったため、1599年、ローマ教皇により離婚させられ、その地位をマリ・ド・メディシスに譲り、夫の命令でオーベルヌ地方のユッソンの城館に追放された。追放後も、素行は収まらず、ニンフォマット(色情狂)といわれ、数人の私生児ももうけた。追放期間は18年に及び、53歳のとき、パリに戻る許可を得、ルーブル宮を正面に臨むセーヌ河左岸に住居を与えられた。こうして、当代および後世の評価はかならずしも芳しくないが、一方、宗教戦争の犠牲となった悲劇の王妃という同情的な見方もある。
また、教養も深く才気にあふれた女性で、『思い出の記』Mémoires(1628)、『琴瑟(きんしつ)相和さぬ閨房(けいぼう)あるいはちぐはぐな睦言(むつごと)、マルグリット・ド・バロアとその駄馬との恋愛問答』La Ruelle mal assortie, Dialogue d'amour entre Marguerite de Valois et sa bête de somme(1644)の著を残し、ブラントームの『貴顕婦人集』Recueil des Dames(1665~1666)や、A・デュマの歴史小説『マルゴ王妃』La Reine Margot(1845)などに魅力的に描かれている。
[榊原晃三]
『渡辺一夫著『戦国明暗二人妃』(1971・筑摩書房)』