マロリー(読み)まろりー(その他表記)Sir Thomas Malory

デジタル大辞泉 「マロリー」の意味・読み・例文・類語

マロリー(Thomas Malory)

[?~1471]英国文人アーサー王伝説集大成した散文物語「アーサー王の死」を著し、近代英文学にも大きな影響を与えた。

マロリー(George Herbert Leigh Mallory)

[1886~1924]英国の登山家。1921年よりエベレスト遠征隊に3度参加したが、1924年に頂上付近で消息を絶った。

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精選版 日本国語大辞典 「マロリー」の意味・読み・例文・類語

マロリー

  1. ( Sir Thomas Malory サー=トーマス━ ) 一五世紀イギリス騎士アーサー王伝説の集大成である「アーサー王の死」の著者として知られる。(一四一〇頃‐七一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マロリー」の意味・わかりやすい解説

マロリー(Sir Thomas Malory)
まろりー
Sir Thomas Malory
(1416ころ―1471)

イギリスの散文作家。ウォーリックシャー出身の騎士。イギリスやフランスに流布するアーサー王伝説を集大成して、長編『アーサー王の死』全21巻(1485刊)を獄中で著した。その生涯は波瀾(はらん)の連続で、理想主義的傾向のロマンス作家には似ず、窃盗、暴行、入獄、脱獄などを繰り返したといわれる。この点については種々の解釈がなされ、『アーサー王の死』の作者には、別のヨークシャーケンブリッジシャー出身のマロリー説もある。1934年、この作品の古写本が初めて発見され、フランスのビナーバEugène Vinaver(1899―1979)教授による優れた校訂版が出版された(1947、第二版1967)。マロリーはアーサーの誕生から死に至る全一巻の物語を初めから意図したのではなく、翻訳した八編の別々のロマンスをまとめたものにすぎないとする同教授の主張には異論もあり、この論争には決着がついていない。アーサー王とその宮廷に参じた円卓の騎士たちが繰り広げる恋と冒険、魔法使いと妖精(ようせい)、聖杯探求などを主題とするこのロマンスは、イギリス最初の印刷業者カクストンにより出版されて以降、当代散文の一つの模範とみなされ、近代英文学にも多大の影響を与えた。

[高宮利行]

『厨川文夫・圭子編訳『アーサー王の死』(ちくま文庫)』


マロリー(George Herbert Leigh Mallory)
まろりー
George Herbert Leigh Mallory
(1886―1924)

イギリスの登山家。チェシャー州で牧師の家庭に生まれる。ケンブリッジ大学を出てパブリックスクールの教師となる。学生時代にR・L・G・アービングから登山の指導を受け、ケンブリッジではG・W・ヤングとも親交があった。これらのことから学生時代よりアルプスを中心に活発な登山を行い、イギリスがエベレスト登山を始めた1921年には第1回の遠征隊員となり、22年、24年にも登頂アタック隊員として活躍したが、24年6月8日、A・アービンと8170メートルの第6キャンプを出発したまま帰らぬ人となった。なぜ登山するかという問いに対して、「山がそこにあるから」という有名な答えをしたといわれている。

[徳久球雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「マロリー」の意味・わかりやすい解説

マロリー
Thomas Malory
生没年:1410?-71

《アーサー王の死》の作者とされる人物。この作品は,アーサー王伝説の英語散文による優れた集大成とも称すべき,15世紀イギリス最高の散文作品であり,イギリス最初の印刷・出版業者W.カクストンによって1485年に出版された。マロリーの伝記は明らかではないが,ウォリックシャー生れの騎士で,40歳のころから殺人未遂,窃盗,強姦などの無法を重ね,投獄,保釈の連続ともいうべき数奇な人生を送り,この間,国会に議席も得ている。最後の入獄(1469-70)は,破廉恥罪のためではなくなんらかの政治的理由によるものと推定されているが,この時期と《アーサー王の死》の執筆年代が一致する。しかし,この作品がもつ文学的香気と,以上のようなマロリーの無頼の履歴とは,あまりにも相いれぬものであるために,真の作者は,ヨークシャーのハットンおよびスタッドリーに所領をもっていたトマス・マロリーであるとする説,さらに,ケンブリッジシャーのパプワースのトマス・マロリーであるとする説などがある。また,ウォリックシャーのマロリーについても,従来の定説の再考を主張する説があり,しかるべきマロリー像の確立は将来の研究にまたねばならない。
執筆者:


マロリー
George Herbert Leigh Mallory
生没年:1886-1924

イギリスの登山家。牧師の家に生まれ,ケンブリッジ大学を出て教師となる。ウィンチェスター校で校長R.L.G.アービングから登山の指導を受け,ケンブリッジではG.W.ヤングとも親交があった。イギリスがエベレスト登山をはじめた1921年第1回の遠征隊員となり,22年の遠征では8225mまで達した。24年にも登頂隊員として参加したが,6月8日オックスフォードの学生A.C.アービンと8170mの第6キャンプを出発したまま帰らぬ人となった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マロリー」の意味・わかりやすい解説

マロリー
Mallory,George Herbert Leigh

[生]1886.6.18. イギリス,モバリー
[没]1924.6.8. チベット,エベレスト北壁
イギリスの探検家,登山家。牧師の家に生まれた。ウィンチェスター大学在学中に登山を始め,ケンブリッジ大学を卒業して教職についた。第1次世界大戦中は軍務につき,1919年教職に復帰。 1921年イギリスの名門山岳会「アルペン・クラブ」が派遣した第1次エベレスト遠征隊に参加。調査をおもな目的としたこの遠征でノース・コルを発見し,ルート開拓に成功した。 1922年酸素ボンベの初使用で知られる第2次遠征隊に再び参加。1回目のアタックは 8230m地点まで到達したが再アタックは雪崩によるシェルパの死亡事故により断念。 1924年第3次遠征隊にも参加。出発前「なぜエベレストに登るのか」と聞かれ「そこに山があるから」と答えたことは有名。アンドリュー・アービンとともに 8170m地点の最終キャンプから山頂を目指したが,再びキャンプに戻ることはなかった。その後,隊員の一人の目撃証言もあるが,2人が初登頂を果たしたのか否かをめぐる論争が繰り広げられた。 1999年に 8155m付近でマロリーの遺体が発見された。

マロリー
Malory, Sir Thomas

[生]1408頃.ウォリックシャー,ニューボールドレブル
[没]1471.3.14. ロンドン
イギリスの作家,騎士。 15世紀最大の散文家で,アーサー王伝説の集大成『アーサーの死』 Morte Darthurの作者。ウォリック伯リチャード・ビーチャムに仕えてフランスに出征,ナイトに叙せられたが,数々の重罪や軽罪を犯したかどでしばしば投獄された。この大作は獄中で完成され,作者の死後 1485年にイギリス最初の印刷業者 W.カクストンによって出版された。

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百科事典マイペディア 「マロリー」の意味・わかりやすい解説

マロリー

英国の登山家。1921年英国の第1次エベレスト遠征隊に加わり登頂路を偵察,次いで第2次(1922年)にも参加した。第3次遠征において,1924年6月8日A.C.アービンとともに第6キャンプから頂上をめざし,消息を絶った。75年をへた1999年に頂上近くで遺体が発見された。なぜエベレストへ登るのかという問いに,〈Because it's there(山がそこにあるから)〉と答えたという逸話は有名。
→関連項目アルパイン・クラブ

マロリー

英国の作家。アーサー王伝説を収集・英訳した《アーサー王の死》(1485年刊)の作者とされる。その一生については不詳だが,ウォリックシャーの騎士という説が有力で,彼は入獄,脱獄を繰り返している。
→関連項目ビアズリー

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