イギリスの散文作家。ウォーリックシャー出身の騎士。イギリスやフランスに流布するアーサー王伝説を集大成して、長編『アーサー王の死』全21巻(1485刊)を獄中で著した。その生涯は波瀾(はらん)の連続で、理想主義的傾向のロマンス作家には似ず、窃盗、暴行、入獄、脱獄などを繰り返したといわれる。この点については種々の解釈がなされ、『アーサー王の死』の作者には、別のヨークシャーやケンブリッジシャー出身のマロリー説もある。1934年、この作品の古写本が初めて発見され、フランスのビナーバEugène Vinaver(1899―1979)教授による優れた校訂版が出版された(1947、第二版1967)。マロリーはアーサーの誕生から死に至る全一巻の物語を初めから意図したのではなく、翻訳した八編の別々のロマンスをまとめたものにすぎないとする同教授の主張には異論もあり、この論争には決着がついていない。アーサー王とその宮廷に参じた円卓の騎士たちが繰り広げる恋と冒険、魔法使いと妖精(ようせい)、聖杯探求などを主題とするこのロマンスは、イギリス最初の印刷業者カクストンにより出版されて以降、当代散文の一つの模範とみなされ、近代英文学にも多大の影響を与えた。
[高宮利行]
『厨川文夫・圭子編訳『アーサー王の死』(ちくま文庫)』
イギリスの登山家。チェシャー州で牧師の家庭に生まれる。ケンブリッジ大学を出てパブリックスクールの教師となる。学生時代にR・L・G・アービングから登山の指導を受け、ケンブリッジではG・W・ヤングとも親交があった。これらのことから学生時代よりアルプスを中心に活発な登山を行い、イギリスがエベレスト登山を始めた1921年には第1回の遠征隊員となり、22年、24年にも登頂アタック隊員として活躍したが、24年6月8日、A・アービンと8170メートルの第6キャンプを出発したまま帰らぬ人となった。なぜ登山するかという問いに対して、「山がそこにあるから」という有名な答えをしたといわれている。
[徳久球雄]
《アーサー王の死》の作者とされる人物。この作品は,アーサー王伝説の英語散文による優れた集大成とも称すべき,15世紀イギリス最高の散文作品であり,イギリス最初の印刷・出版業者W.カクストンによって1485年に出版された。マロリーの伝記は明らかではないが,ウォリックシャー生れの騎士で,40歳のころから殺人未遂,窃盗,強姦などの無法を重ね,投獄,保釈の連続ともいうべき数奇な人生を送り,この間,国会に議席も得ている。最後の入獄(1469-70)は,破廉恥罪のためではなくなんらかの政治的理由によるものと推定されているが,この時期と《アーサー王の死》の執筆年代が一致する。しかし,この作品がもつ文学的香気と,以上のようなマロリーの無頼の履歴とは,あまりにも相いれぬものであるために,真の作者は,ヨークシャーのハットンおよびスタッドリーに所領をもっていたトマス・マロリーであるとする説,さらに,ケンブリッジシャーのパプワースのトマス・マロリーであるとする説などがある。また,ウォリックシャーのマロリーについても,従来の定説の再考を主張する説があり,しかるべきマロリー像の確立は将来の研究にまたねばならない。
執筆者:安東 伸介
イギリスの登山家。牧師の家に生まれ,ケンブリッジ大学を出て教師となる。ウィンチェスター校で校長R.L.G.アービングから登山の指導を受け,ケンブリッジではG.W.ヤングとも親交があった。イギリスがエベレスト登山をはじめた1921年第1回の遠征隊員となり,22年の遠征では8225mまで達した。24年にも登頂隊員として参加したが,6月8日オックスフォードの学生A.C.アービンと8170mの第6キャンプを出発したまま帰らぬ人となった。
執筆者:徳久 球雄
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