マロ(その他表記)Clément Marot

デジタル大辞泉 「マロ」の意味・読み・例文・類語

マロ(Clément Marot)

[1496~1544]フランスの宮廷詩人。プロテスタンティズムに傾いて迫害を受けながら、書簡詩風刺詩などに軽妙洒脱な詩才を示した。詩集クレマンの青春」「地獄」など。

マロ(Hector Malot)

[1830~1907]フランスの小説家批評家。旅を通じて少年が成長する過程を描いた児童小説「家なき子」で知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「マロ」の意味・読み・例文・類語

マロ

  1. [ 一 ] ( Hector Malot エクトール━ ) フランスの小説家。児童文学「家なき子」の著者として知られる。(一八三〇‐一九〇七
  2. [ 二 ] ( Clément Marot クレマン━ ) フランスの詩人。フランス‐ルネサンスを代表、軽妙な風刺に貫かれた詩を発表。詩集「クレマンの若き日」など。(一四九六‐一五四四

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改訂新版 世界大百科事典 「マロ」の意味・わかりやすい解説

マロ
Clément Marot
生没年:1496?-1544

フランスの詩人。南フランスのカオールに生まれ,1506年パリに出て,大押韻派の詩人である父ジャンから詩法を学び,早くから詩作を試みる。1518年王姉マルグリット・ド・ナバールの家中に取り立てられ宮廷詩人として出発。福音主義に共鳴した上に自由児的言動が災いして2度の投獄を体験。それもまた傑作を生む機縁となっている。処女詩集《クレマンの若き日》(1532)によって声価が定まったが,34年末の宗教改革派・福音主義者大弾圧の身辺に及ぶのを避けてイタリアのフェラーラに亡命した。2年後帰国を許されて再び宮廷に迎えられ,38年には最初の総合作品集を出版して〈マロ派〉の中心となった。しかし弾圧はしだいに厳しくなり,42年末にはジュネーブへ亡命を余儀なくされ,同地で聖書《詩篇》のフランス語訳を刊行(1543),フランス宗教改革派の愛唱するところとなったが,彼自身は峻厳なジュネーブの空気になじまず,北イタリアのトリノに逃れて客死した。オウィディウスエラスムスの韻文訳も含め長短700編を超える作品は,中世伝来の定型詩ロンドーからペトラルカに始まる新定型詩ソネットに至る幅広い分野にわたり,とくに古代やイタリア・ルネサンスの流れを汲む書簡詩,エピグラム寸鉄詩),エレジー(悲歌)に個性的技巧と軽妙洒脱な独自の詩境の開拓がみられる。マロは〈リヨン詩派〉(M.セーブ)や〈プレイヤード派〉に先立つ最初のルネサンス詩人といえよう。
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マロ
Hector-Henri Malot
生没年:1830-1907

フランスの小説家。セーヌ・マリティーム県のラ・ブイユに生まれた。パリで法律の勉強をしたが,途中から文学を志した。批評家として出発したが,1859年には小説《恋人》を発表。これは《夫婦》(1865),《子供》(1866)と並んで〈愛の犠牲者〉シリーズという三部作をなすものである。その間マロは《オピニヨン・ナシヨナル》紙に文芸批評も書くようになった。しかしマロの名を高めたのは児童向きの作品《ロマン・カルブリスの身に起こったこと》(1869),《家なき子Sans famille》(1878),《家庭にてEn famille》(1893。邦訳名《家なき娘》)の3作である。とくに《家なき子》は世界の児童文学中に不朽の座を占めている。彼は多作で70編以上の小説を書いたが,その大部分は家庭や愛をテーマにしている。なお文学的自叙伝《私の小説の物語》(1896)もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マロ」の意味・わかりやすい解説

マロ(Clément Marot)
まろ
Clément Marot
(1496―1544)

フランスの詩人。大押韻派詩人ジャン・マロJean Marot(1450?―1526)の子として南仏カオールに生まれ、早くから詩作に親しむ。1518年王姉マルグリット・ド・ナバールに仕えて宮廷詩人となる。信仰生活の純化を説く福音(ふくいん)主義に共鳴したうえに、生来の奔放不羈(ふき)が災いして二度の投獄を体験、これもまた当意即妙の傑作を生む機縁となり、折々の詩を集めた処女詩集『クレマンの若き日』L'Adolescence Clémentine(1532)により声価が定まった。34年末の福音主義者・宗教改革派大弾圧を逃れて一時イタリアのフェッラーラに亡命、2年後帰国を許されて宮廷に復帰、38年最初の総合作品集を出版して新詩派、いわゆるマロ派の中心となった。しかし42年末スイスのジュネーブへ亡命を余儀なくされ、同地で旧約『詩篇(しへん)』の仏訳を刊行(1543)、カルバン派の愛唱するところとなる。しかし生の快楽と自由を愛する彼は同地の堅苦しい空気になじめず、北イタリアのトリノに逃れて客死した。エラスムス『対話集』韻文訳を含め700を超えるその作品は、伝統的ロンドーから新定型詩ソネット(14行詩)に及び、とくに書簡詩(エピートル)、寸鉄詩(エピグラム)、悲歌(エレジー)に個性的技巧と自由軽妙な詩境の完成をみることができる。

[二宮 敬]


マロ(Hector-Henri Malot)
まろ
Hector-Henri Malot
(1830―1907)

フランスの小説家、批評家。初め法律家を目ざしたが、のち文学に転じ、『愛の犠牲者』Les Victimes d'amour(1859~66)、『ロマン・カルブリス』など数多くの作品を発表した。なかでも、子供が苦しいさすらいの旅を通じて優れた人格をつくりあげていく『家なき子』(1878)、『家なき娘』(1893)は波瀾(はらん)に富む筋、人物の魅力、愛の精神などで各国語に訳されて多くの人々を感動させた。

[神宮輝夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マロ」の意味・わかりやすい解説

マロ
Marot, Clément

[生]1496. ペリゴール,カオール
[没]1544.9.12. トリノ
フランスの詩人。大押韻派の詩人ジャン・マロの息子。国王フランソア1世の姉マルグリット・ダングレームの庇護を受けて詩作した。福音主義に共鳴し,教会当局,官憲から追及を受け,再三投獄され,2度亡命を余儀なくされ,イタリアで客死した。書簡詩,エピグラム,エレジーなどの伝統的な詩型を用い,身辺の題材,時事的な問題を扱い,優雅で清新な感覚を表現。またイタリアからソネットのような新しい形式を導入し,フランス詩の発展に貢献した。代表作『キューピッドの神殿』 Le Temple de Cupido (1515) ,『地獄』L'Enfer (26執筆,39刊) ,『クレマンの青春』L'Adolescence clémentine (32) 。その他『薔薇物語』 (29) とビヨンの詩集 (32) の編纂,聖書『詩篇』の翻訳"Les Psaumes" (41~42) もある。

マロ
Marot, Jean

[生]1619頃.パリ
[没]1679.12.15. パリ
フランスの建築家,建築図版家。パリの工芸・建築家一族の一人で,オテル・ド・プッソール,オテル・ド・モルトマール,オテル・ド・モンソーなどの邸館を設計,F.マンサール,L.ル・ボーら同時代の建築家の強い影響をみせている。彼の活動では,建築図版の製作と出版が重要で『ル・プティ・マロ』『ル・グラン・マロ』を描いたほか,多数の装飾図版を制作した。息子ダニエル (1661~1752) も建築家,建築図版家で,オランダで活躍。ハーグ市庁舎 (33~37) ,王立図書館 (34~37) を手がけた。

マロ
Marot, Daniel

[生]1661. パリ
[没]1752.6.4. ハーグ
オランダで活躍したフランスの建築家,建築図版作家,家具デザイナー。建築家 J.マロの子で,パリで父に学んだ。新教徒であったため,1685年のナントの勅令の廃止に際し,オランダに逃れ,オランニェ公ウィレム (のちのイングランド王ウィリアム3世) に伴われイギリスに渡り,95~96年ロンドンに滞在,ハンプトン・コート・パレスの庭園や室内装飾にたずさわった。その後オランダに戻り,ハーグやアムステルダムで活動。作品は,ハーグの議事堂謁見室 (1696~98) ,市庁舎 (1733~37) ,宮殿ハイス・テン・ボスの増築 (34~37) ,また王立図書館 (34~37) など。

マロ
Malot, Hector Henri

[生]1830.5.20. セーヌマリティム,ラブイユ
[没]1907.7.17. フォントネースーボア
フランスの小説家,評論家。文芸評論家として出発したが,のち小説に転じ,ヒューマニズムの立場から理想主義的傾向の作品を数多く発表した。主著『愛の犠牲者』 Les Victimes d'amour (1859~66) ,『ロマン・カルブリス』 Romain Kalbris (69) 。とりわけ『家なき子』 Sans famille (78) は児童文学の傑作として世界的に有名。

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百科事典マイペディア 「マロ」の意味・わかりやすい解説

マロ

フランスの詩人。フランソア1世の宮廷詩人。宗教改革の同調者とみられて迫害され,亡命先のトリノで客死。イタリア文学の影響を受けフランス最初のソネットを書いた。苦難の中にあって書簡詩,エピグラムなどに軽妙洒脱(しゃだつ)な才能を発揮。

マロ[父子]【マロ】

フランスの建築家親子。父のジャンJean Marot〔1619-1679〕は,銅版の建築図案を残し,ルイ14世時代の様式を後世に伝えた。子のダニエルDaniel Marot〔1660-1752〕は,装飾図案家としてもすぐれ,オランダ,英国で活躍。

マロ

フランスの作家。ルアン近くに生まれ,パリに出て文芸批評家となり,やがて家庭小説風の小説を多数書いた。少年少女のために書いた《家なき子》,《家庭にて》(邦訳名《家なき娘》)の2作で児童文学者として有名。

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世界大百科事典(旧版)内のマロの言及

【児童文学】より

…作品は太い流れを形づくることはなく,おもしろい作品が多いが散発的である。H.H.マロが《家なき子》(1878)で遍歴する孤児のテーマを流布させたが,同じころJ.ベルヌがSFの先駆といわれる作品を精力的に書いて,夢想に現実性を与えた。少年小説の古典《二年間の休暇(十五少年漂流記)》(1888)も彼の手になる。…

※「マロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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