日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミリカン」の意味・わかりやすい解説
ミリカン
みりかん
Robert Andrews Millikan
(1868―1953)
アメリカの実験物理学者。ミリカンの油滴実験で知られる。3月2日イリノイ州モリソンに生まれる。高等学校卒業後、裁判所の記録係を務めたが、1886年オバーリン・カレッジの予科に入学、卒業後2年間予科の初等物理学の教師をした。これがきっかけとなって、コロンビア大学物理教室に赴き、学位取得(1895)、その後シカゴ大学助手(1896)、助教授(1902)を経て、物理学教授となった(1910)。第一次世界大戦中は、戦時研究に参画、対潜水艦兵器の開発にあたった。1921~1945年カリフォルニア工科大学教授、同大学ノーマン・ブリッジ研究所所長を務めた。
1890年代のアメリカでは物理学はまだ揺籃(ようらん)期にあり、彼は初等物理学などの教科書を著し、教育に専念するとともに、アメリカの物理学研究の土台づくりに尽力した。1907年、研究テーマを電子の電荷の測定に絞り、キャベンディッシュ研究所を中心に、タウンゼントJ. S. Townsend(1868―1957)、C・ウィルソン、トムソン、H・ウィルソンHarold A. Wilson(1874―1964)らが開発した水滴法を改良、発展させ、油滴法を発明(1916)、電子の電荷量(電気素量)の精密測定に成功した(1917)。また、1912~1915年にかけて光電効果の研究を進め、アインシュタインの光電子のエネルギーと振動数との間の関係式を実験的に証明し(1914)、光電子効果によるプランク定数の最初の決定を行った。1923年電気素量の測定と光電効果の研究に対してノーベル物理学賞を受けた。さらに、紫外線、X線領域での分光学的研究を行い、「ミリカン線」を発見(1920)、また宇宙線の研究も行い、その起源を論じ、1930年代の宇宙線研究の基礎を築いた。1953年12月19日カリフォルニア州サン・マリノで死去した。
[大友詔雄 2018年11月19日]
『中村誠太郎・小沼通二編『ノーベル賞講演 物理学 第4巻』(1979・講談社)』▽『奥田毅著『実験物理の歴史』(1975・内田老鶴圃新社)』