日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミロス島」の意味・わかりやすい解説
ミロス島
みろすとう
Mílos
ギリシア南部、キクラデス諸島南西端の島。英語ではMelosと綴(つづ)るので(発音はミーロス)、「メロス」の表記もある。イタリア語名はミロMilo。面積150平方キロメートル、人口約4500。ティラ(サントリン、サントリーニともいう)島と、ドデカネス諸島のニシロス島とを結ぶ火山帯に属する島で、硫黄(いおう)を産し、温泉が散在する。1820年、いわゆる「ミロのビーナス」が出土し、一躍有名になった。
[真下とも子]
歴史
古くはキクラデス文明の中心地の一つで、ここに産出する黒曜石はエーゲ海各地に広く輸出された。しかもギリシア本土とクレタ島の中間に位置したために、エーゲ海文明で重要な役割を果たし、とくに中期ミノア文明、後期ミケーネ文明と密接な関係を保っていた。ドーリス人の移動の際、本土のラコニアからのドーリス人により占領されたと伝えられている。ペルシア戦争のとき、サラミスの海戦には船を提供したが、デロス同盟には加入しなかった。ペロポネソス戦争当初は中立を保持していたが、紀元前416年アテネに攻略され、住民が虐殺された経過は、古代ギリシアの歴史家トゥキディデスが「メロス対話」として伝えており、『戦史』のなかでも不朽の1章をなしている。アテネは本島を征服したのち、植民者(クレールーコイ)を入植させたが、前405年にはスパルタの提督リサンドロスがアテネの支配より解放し、ふたたび原住民に戻した。その後、ローマ、ビザンティン帝国の支配を経て、13世紀初めにはナクソス公国の一部となり、カトリック教徒も多く移住してきたので司教補佐官が置かれた。1566年にはオスマン・トルコの支配するところとなり、1829年にギリシア領になることが決定された。
[真下英信]