ムシャラフ(読み)むしゃらふ(その他表記)Pervez Musharraf

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムシャラフ」の意味・わかりやすい解説

ムシャラフ
むしゃらふ
Pervez Musharraf
(1943―2023)

パキスタンの政治家。イギリス領インド、デリーのイスラム教徒の家庭に生まれる。4歳のとき、インドとパキスタンが分離独立し、一家はパキスタンのカラチへ移住。ラホールの英国系大学で学んだ後、1961年に国軍士官学校入校、1964年任官。砲兵連隊に所属し、1965年の第二次印パ戦争に従軍。1971年の第三次印パ戦争には特殊作戦連隊の中隊長として従軍した。1991年に少将。歩兵師団司令官や陸軍参謀本部作戦部長などの軍要職を歴任。1998年10月、シャリフ首相Nawaz Sharif(1949― )がカラマトJehangir Karamat(1941― )陸軍参謀長を解任したため、ムシャラフが大将に昇格し、後任に就任。1999年、カシミール地方カーギルでの印パ両軍衝突では軍の総指揮をとった。だが、対印路線をめぐってシャリフ首相と対立した。

 シャリフ首相は1999年10月、ムシャラフ参謀長の外遊中に解任を発表したが、参謀長はこれを察知して急遽(きゅうきょ)帰国。首相の解任指令を拒み、逆に軍部隊で首相を自宅に軟禁したうえで政権掌握を発表し、無血クーデターを成功させた。2001年、任期途中のタラルMuhammad Rafiq Tarar(1929―2022)大統領を解任し、自ら大統領に就任。2002年10月の総選挙後に下院を招集し、国はいちおう民政に復帰した。だが、ムシャラフは大統領職と陸軍参謀長職を兼務した。アメリカ同時多発テロの後、一貫して親米路線にたち、アメリカとの緊密な関係をてこに政権を維持しつつ、対インド関係改善を目ざした。

 その後、2007年には大統領任期満了日の11月15日に先だつ同10月6日に大統領選挙が行われ、圧倒的多数の票を得て勝利した。しかし、野党はムシャラフの立候補適格性を争う訴えを行い、これを受けて最高裁判所は、この訴えの審理・判決が出るまでは大統領選挙の公式な結果発表を控えるべきとする旨を示した。同年11月3日、ムシャラフは国内全土に非常事態宣言を発令し憲法が一時的に効力停止となるが、同月28日長く兼任した陸軍参謀長を辞任し軍籍を離脱、翌29日文民として大統領に正式就任した。2008年8月大統領を辞任。

[林 路郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムシャラフ」の意味・わかりやすい解説

ムシャラフ
Musharraf, Pervez

[生]1943.8.11. インド,ニューデリー
[没]2023.2.5. アラブ首長国連邦,ドバイ
ペルベズ・ムシャラフ。パキスタンの軍人,政治家。大統領(在任 2001~08)。1999年のクーデターで政権を掌握し,2001年から 2008年まで大統領を務めた。
パキスタンがインドから独立した 1947年,家族とともにニューデリーからカラチへ移住。外交官である父の赴任に伴い,1949~56年トルコで暮らす。1964年パキスタン軍に入隊クウェッタの指揮幕僚学校を卒業後,ロンドンの王立防衛大学で学んだ。1965年の第2次印パ戦争,1971年の第3次印パ戦争に従軍。1998年ナワズ・シャリフ首相から陸軍参謀総長に任命されたが,1999年外遊中に解任された。解任発表当日,軍はクーデターを起こしシャリフは退陣,ムシャラフは憲法を停止し最高行政官(首相に相当)として政権を掌握し,2001年に大統領に就任した。2007年10月に再選を果たしたが,野党側が大統領と陸軍参謀総長の兼務は違憲提訴,最高裁判所は訴えを受理して議会での承認を遅らせた。同 2007年11月3日,非常事態を宣言し,テロの脅威拡大を口実に憲法を停止,最高裁判所長官を解職し,同裁判所の判事らを更迭したのち,軍職を辞して文民として大統領に就任した。しかし,2008年2月の選挙で敗北を喫し,シャリフのパキスタン・ムスリム連盟 PMLと,2007年12月に暗殺されたベナジル・ブットー元首相の夫アシフ・アリ・ザルダリ率いるパキスタン人民党 PPPの二大野党による連立政権の発足を許した。2008年8月18日,連立政権が重大な憲法違反を理由に大統領弾劾手続きを開始するのを目前にして,辞任を表明した。
その後,事実上の亡命を経た 2013年3月24日,政治家復帰を志して帰国したが,ブットー暗殺にかかわる殺人容疑と,2007年11月に発令した非常事態宣言が憲法をそこなったとして国家反逆罪容疑に問われた。翌 4月には選挙への立候補を禁じられ,自宅軟禁となった。2016年,病気治療のため出国を許され,以後,アラブ首相国連邦 UAEのドバイにとどまった。2018年末,アミロイドーシスによる健康悪化が明らかになり,翌 2019年12月17日の欠席裁判で特別法廷により国家反逆罪で死刑が言い渡された。しかし翌 2020年1月,控訴審は特別法廷の設置手続きが違憲であるとして死刑判決を破棄,審理はふりだしに戻った。

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