ムルナー(その他表記)Thomas Murner

改訂新版 世界大百科事典 「ムルナー」の意味・わかりやすい解説

ムルナー
Thomas Murner
生没年:1475-1537

ドイツ風刺詩人。S.ブラントが切り開いた〈阿呆文学〉を継承する。辛辣な筆法と論争的性格のために生前から毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばしたが,世相を活写する作品は文化史的資料価値も高く,また宗教改革反対派中ほとんど唯一の名のある文学者として注目される。代表作には世の悪徳痴態をレビュー風に風刺した《阿呆祓い》(1512)および《悪党組合》(1512),色恋に現(うつつ)を抜かす風潮をとくにたしなめた《アッホーが原》(1519),謝肉祭の仮装大人形と阿呆祓いをモティーフとし戯画的にルター派を風刺した《ルター派大阿房が事》(1522)等があり,《アエネーイス》(1515)および《法学提要》(1519)の翻訳は歴史的意義を有する。エルザスのオーバーエーンハイム(現,オベルネ)に生まれ,同地に没したが,遍歴学生,フランシスコ会修道士桂冠詩人,神学博士,法学博士としての足跡は,ローマ,クラクフ,パリ,ロンドンなどヨーロッパ各地に印されている。敵方から〈阿呆猫Murnarr〉とののしられた彼が,農民戦争の難を逃れたルツェルンから故郷へ帰り,牧師として落ち着いたのはその死のわずか4年前のことであった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムルナー」の意味・わかりやすい解説

ムルナー
Murner, Thomas

[生]1475.12.24. オーバーエーンハイム
[没]1537.8.23頃.オーバーエーンハイム
ドイツの風刺詩人。フランシスコ派聖職者博学弁論に秀で,マクシミリアン皇帝から桂冠詩人に任じられた。 S.ブラントの流れをくみ,『愚者の召集』 Die Narrenbeschwörung (1512) を著わし,また宗教改革に反対し,『ルターの大馬鹿者』 Von dem grossen Lutherischen Narren,wie ihn Dr. Murner beschworen hat (22) でルターを揶揄攻撃した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムルナー」の意味・わかりやすい解説

ムルナー
むるなー
Thomas Murner
(1475―1537)

フランシスコ会の修道士でドイツの風刺詩人。オーバーエーンハイム生まれ。『大馬鹿者ルター』(1522)などによって宗教改革を批判したが、的確で痛烈な批評はヒューマニストとしての面目躍如たるものがあり、新旧両派から攻撃された。風刺詩『阿呆(あほう)払い』(1512)、『悪党組合』(1512)はリアリティーと表現力に富み、『四人の異端』(1509)は「処女受胎」にまつわる史的資料としても貴重。

[尾崎盛景 2017年12月12日]

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世界大百科事典(旧版)内のムルナーの言及

【学校劇】より

…娯楽の少ない時代だけに学校劇は内容はわからなくとも大いに流行し,教師も父兄も熱中した。やがて,T.ムルナーやマヌエルN.Manuel(1484‐1530)などの手によってラテン語の創作劇が生まれる。宗教改革の嵐の吹き荒れたドイツでは,カトリックとプロテスタントの両陣営はそれぞれの立場のラテン語劇で対抗し論争した。…

※「ムルナー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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