改訂新版 世界大百科事典 「メシュトロビチ」の意味・わかりやすい解説
メシュトロビチ
Ivan Meštrović
生没年:1883-1962
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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旧ユーゴスラビアの彫刻家。クロアチアのブルポーリェ村に生まれる。篤志家の援助を得て、17歳でウィーンに出、アカデミーでヘルマン・ヘルマーや建築家オットー・ワーグナーに学ぶ。とくに後者の影響を受け、分離派(ゼツェッション)運動に参加した。熱烈な愛国者で、彫刻と建築の統合を試みた記念像を多くつくり、「ユーゴのミケランジェロ」とうたわれた。第一次世界大戦後の新生ユーゴにおいて、ザグレブの美術学校長を長く務めて後進を指導したが、第二次大戦中はスイス、イタリアに亡命。戦後アメリカの大学に招かれ、サウス・ベンドで客死。代表作は『無名戦士の墓』『生命の泉』など。
[三田村畯右]
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…スロベニアの印象派の画家であるヤコピッチRihard Jakopič(1869-1943),ヤーマMatija Jama(1872-1947),グロハルIvan Grohar(1867-1911),ステルネンMatej Sternen(1870-1949)やセルビアの表現主義の画家ペトロビッチNadežda Petrović(1873-1915)も,アジュベの門下から出ている。新生国家ユーゴスラビアの各地に記念碑を制作した彫刻家メシュトロビッチ(1883-1962)は民族主義の主張を雄弁に表現した。1929年クロアチアの若い画家たちがグループ〈ゼムリャZemlja(大地)〉を結成,その一人ヘゲドゥシッチKrsto Hegedušić(1901-75)はフレビネHlebine村で少年農夫ゲネラリッチIvan Generalić(1914- )に出会い,政治的傾向をもったフレビネ派と呼ばれるクロアチアのナイーブ派が成立する契機となった。…
※「メシュトロビチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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