メナボ(その他表記)Menabò

改訂新版 世界大百科事典 「メナボ」の意味・わかりやすい解説

メナボ
Menabò

イタリアの文学雑誌。E.ビットリーニI.カルビーノと連携して,1959年に,トリノのエイナウディ社から創刊した。ビットリーニは総合文化雑誌《ポリテークニコ》(1945-47)と文学叢書《ジェットーニ》(1951-58)の編集を通じて,ファシズムとレジスタンスを経た戦後のイタリア社会における文学や文化の責務を問いつづけてきたが,60年代を目前にして,高度産業化社会および国際化社会における新しい文学の責務を追究すべきことを痛感し,その拠点として,《メナボ》誌の発刊に踏み切った。同誌は年間1冊の刊行を目安とする雑誌の体裁をとりながら,同時に文学叢書ともなるよう企図されており,この場から,新しい時代の文学を担うべき優れた新人作家たちが紹介されていった。新前衛派をはじめ,のちに第一線に躍り出る作家たちのほとんどが,ビットリーニの慧眼(けいがん)によって《メナボ》誌から世に出た,と評しても過言ではない。さらに,同誌第4号と第5号は,〈産業と文学〉をテーマに据えて,戦後の資本主義社会における文学のあり方を検討し,第7号と第9号では,R.バルト,H.M.エンツェンスベルガー,M.デュラス,M.ブランショら,国外の作家たちの寄稿を特集して,国際的な視野から現代文学の検討を試みた。1966年にビットリーニが世を去り,同誌もまた,翌67年にビットリーニの追悼号(第10号)をもって,廃刊となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メナボ」の意味・わかりやすい解説

メナボ
めなぼ
Il Menabò

現代イタリア文学の年刊誌。1959年、ビットリーニがカルビーノとともに創刊。イタリア社会の変貌(へんぼう)と前衛文学との緊張関係を、ヨーロッパの諸文化運動と連関させながら、年々、総括し、かつ未来を先取りする形で刊行した。「文学と産業」「歴史叙述としての文学」「文学と映画」等々の特集に社会的責務を果たし、真に前衛的な編集方針の一端がうかがわれる。ガッダ、ダッリーゴ、マストロナルディらの大作の一部を発掘、紹介し、エンツェンスベルガー、バルトらの先鋭な論文を収録し、また、反体制的な実験文学者サングイネーティ、バレストリーニ、パラアラーニ、エーコらを世に送り出したりした。しかし、67年の第10号「ビットリーニ追悼」特集をもって終刊した。出版元はトリノのエイナウディ社。

[河島英昭]

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世界大百科事典(旧版)内のメナボの言及

【ビットリーニ】より

…だが,〈政治と文化〉をめぐる論争のうちに共産党との亀裂を深め,同誌は47年末に廃刊。以後のビットリーニは,政治的・社会的状況をつねに視野に収めつつ,さらに強固に文学に依拠する姿勢をとり,《ジェットーニ叢書》(1951‐59)および《メナボ》誌(1959‐66)の編集主幹として新しい作家の発掘に努めながら,文学の責務を問い続けた。一方で長編小説《メッシナの女たち》(1949,決定版1964)その他の創作も手がけたが,さらに自選の評論集《公開日記》(1957)は,彼の思想の軌跡をたどるうえできわめて重要な意味を担っている。…

※「メナボ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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