現代外国人名録2016 「モハメドアリ」の解説
モハメド アリ
Muhammad Ali
- 職業・肩書
- 元プロボクサー 元世界ヘビー級チャンピオン ローマ五輪ライトヘビー級金メダリスト
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1942年1月17日
- 出生地
- ケンタッキー州ルイビル
- 本名
- クレイ,カシアス・マーセラスJr.〈Clay,Cassius Marcellus Jr.〉
- 旧名・旧姓
- クレイ,カシアス〈Clay,Cassius〉
- 勲章褒章
- 米国大統領市民勲章〔2001年〕
- 受賞
- マウントアイダ大学名誉法学博士号(米国マサチューセッツ州)〔1994年〕,コロンビア大学名誉法学博士号(米国)〔1999年〕,20世紀の世界スポーツ賞〔1999年〕,米国功労賞〔2000年〕,世界スポーツ大賞(第1回)〔2000年〕
- 経歴
- 12歳でボクシングを始め、アマで108勝8敗。1960年ローマ五輪のライトヘビー級で金メダルを獲得し、プロに転向。19連勝を経て’64年ソニー・リストン(米国)にKO勝ちして世界ヘビー級王者となった。翌日黒人回教徒(ブラック・ムスリム)であること公表し、カシアス・クレイからモハメド・アリへと改名。以後’67年までに9回の防衛に成功。同年ベトナム戦争への徴兵を拒否、裁判沙汰となり、3年5ケ月間タイトルとライセンスを奪われた。’71年自由の身となり、’74年宿敵ジョージ・フォアマン(米国)にKO勝ちして再び王座に返り咲き、’78年2月レオン・スピンクス(米国)に敗れるまで10回の防衛戦に成功した。同年9月3度目の王座に就く。’81年引退。通算成績61戦56勝(37KO)5敗。’84年パーキンソン病と診断され、言語障害などの症状が出始める。’90年11月湾岸危機についてイラクのフセイン大統領と直接対話をするためバグダッドに赴いた。イスラム教の布教活動にも従事。’96年のアトランタ五輪では聖火の点火者として登場した。また、ローマ五輪で優勝した後、故郷の白人レストランで肌の色を理由に入場を断られたため、金メダルをオハイオ川に捨てたとされていたが、36年ぶりにIOCにより金メダルのレプリカが授与された。’98年9月国連平和大使に任命される。ボクシング界、スポーツ界に大きな影響を与えた人物として知られ、’99年12月「スポーツイラストレーテッド」の“20世紀最高のスポーツ選手”の大賞に選ばれる。2001年半生を描いた映画「アリ」(マイケル・マン監督)が公開される。2002年ハリウッドの殿堂入り。2012年ロンドン五輪の開会式に登場、過去のメダリストらとともに五輪旗を運ぶ役目を担った。「モハメド・アリ/かけがえのない日々」など評伝的映画や自叙伝「The Greatest:My Own Story」(1975年)などがある。異名は“ザ・グレーテスト”。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報