よしこの節(読み)ヨシコノブシ

デジタル大辞泉 「よしこの節」の意味・読み・例文・類語

よしこの‐ぶし【よしこの節】

江戸後期に流行した俗謡潮来節いたこぶしから出たといわれ、七・七・七・五の4句の歌詞で、内容形式都々逸どどいつに似る。曲名囃子詞はやしことば一節から。

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精選版 日本国語大辞典 「よしこの節」の意味・読み・例文・類語

よしこの‐ぶし【よしこの節】

  1. 〘 名詞 〙 ( はやし声を「こりゃまたよしこの」とか「よしこのよしこの」と言ったところからいう ) 江戸時代の俗謡の一つ文化一八〇四‐一八)の終わりごろ潮来節(いたこぶし)の変化したものといい、都々逸(どどいつ)に似て、歌詞は七・七・七・五の四句から成る。文政一八一八‐三〇)の初めから江戸・大坂京都などで行なわれた。
    1. [初出の実例]「出来ざらに、旦那さま、よしこの節(ブシ)イ弾(ふい)てくださいまし」(出典滑稽本・牛島土産(1824)下)

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改訂新版 世界大百科事典 「よしこの節」の意味・わかりやすい解説

よしこの節 (よしこのぶし)

江戸時代の流行歌(はやりうた)。文政(1818-30)の初めごろ,江戸の街を流していた飴売(あめうり)が潮来節(いたこぶし)を歌い,終りに〈コリャマタヨシコノ ベコシャラベコシャラ ヨシコノヨシコノ〉と囃したてた。それを変化させて,二上りの三味線で歌いだしたのが《よしこの節》の起りになっている。まもなく本調子に変わって,その旋律清元の《子守》(1823)のなかに入り〈わたしゃどうでもこうでもあの人ばかりはあきらめられぬ じゃによって讃岐さぬき)の金比羅(こんぴら)さんへ願でもかけましょか〉と,いまも歌い継がれている。《よしこの節》は京坂地方でも盛んに歌われるようになり,名古屋で起こって流行していた〈名古屋節〉を駆逐する勢いで広がった。1838年(天保9),江戸の都々逸坊扇歌が《よしこの節》に〈名古屋節〉をとり入れて〈どどいつ節〉(都々逸)を大成しもてはやされたが,京坂では長く《よしこの節》を残した。徳島県の阿波踊の歌は《よしこの節》を民謡化したものである。
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世界大百科事典(旧版)内のよしこの節の言及

【都々逸】より

…この歌は明和(1764‐72)ころから江戸で流行していた《潮来節(いたこぶし)》に似た曲調で,まもなく地元ではすたれたが,江戸や上方に流れて《名古屋節》と称された。1838年(天保9)江戸の寄席音曲師だった都々逸坊扇歌(?‐1852)が,同じ《潮来節》を母体とした《よしこの節》の曲調を変化させ,名古屋節の囃し詞を加えて〈どどいつ節〉を大成し,旗揚げしてから〈どどいつ〉の名称でもてはやされるようになった。 七・七・七・五調4句26文字の詞型を基本とするが,〈どどいつ形式〉などと呼ばれて,歌詞を新作するなどのことが行われた。…

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