ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス1世」の意味・わかりやすい解説
ヨハネス1世
ヨハネスいっせい
Johannes I
[没]526.5.18. ラベンナ
トスカナ出身の第53代教皇(在位 523~526)。聖人。コンスタンチノープルを訪れた最初の教皇。ビザンチン皇帝ユスチヌス1世(在位 518~527)がビザンチン帝国内の異端であるアリウス派を弾圧した際,自身もアリウス派だった東ゴートのテオドリック大王(在位 493~526)は敵対心をいだき,525年ヨハネス1世にユスチヌス1世と交渉し弾圧をやめさせるよう命じた。しかしヨハネス1世はユスチヌス1世の政策を転換させることはできず,526年にラベンナに戻ったが投獄され,まもなく餓死したとされる。殉教者(→殉教)として崇敬されている。また,復活祭の日付を決める方式としてアレクサンドリア教会の計算法を承認し,この方式はのちに西洋全体に受け入れられた。祝日は 5月18日。
ヨハネス1世
ヨハネスいっせい
Johannes I Zimisces
[没]976.1.10. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 969~976) 。ヨハンネス (ヨアンネス) 1世とも呼ばれる。貴族の出で,近衛軍東方部隊司令官就任中,皇妃テオファノと通じて皇帝ニケフォルス2世を暗殺 (969) ,帝位についた。キエフ大公スビャトスラフ指揮のブルガリア=ロシア軍を首都プレスラフに破り,ブルガリアを再び帝国領とした (971) 。さらにメソポタミアに遠征,ファーティマ朝と戦い,勝利を収め,トリポリスからカイザレイアにいたる小アジア沿岸の諸都市を占領 (972~975) ,帝国領を拡張した。帰国後チフスにかかり,病没。
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