デジタル大辞泉 「ラシュト」の意味・読み・例文・類語 ラシュト(Rasht) イラン北西部、ギーラーン州の都市。同州の州都。カスピ海南西岸に面する。16世紀、サファビー朝時代に発展。18世紀のロシア‐イラン戦争、20世紀の第一次大戦においてロシア軍に占領された。イラン立憲革命の中心地の一つ。近年は観光保養地として知られる。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「ラシュト」の意味・わかりやすい解説 ラシュトRasht イラン北部,カスピ海南西沿岸平野にある都市。ギーラーン州の州都。人口51万9481(2003)。住民はギーラキーと称する方言を話す。16世紀末サファビー朝下で人口が増え,19世紀には対ロシア貿易の拠点として発展。20世紀初めのイラン立憲革命期にラシュト市民は武装蜂起しカージャール王朝軍を破り,立憲制維持に大きな役割を果たした。1920年にはボルシェビキ軍に占領された。年降水量1355mmで,周囲には水田,茶畑,タバコ畑が広がる。執筆者:岡﨑 正孝 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラシュト」の意味・わかりやすい解説 ラシュトRasht; Resht イラン北西部,ギーラーン州の州都。サフィード川の支流に臨み,エルブールズ山脈の西端に位置する。17世紀のロシアの南下政策以来,行政上の重要性を増したが,第1次・第2次世界大戦中はロシア軍,ソビエト連邦軍に占領され,さらにその後の経済的衰退によって著しく低迷した。地方行政と文化の中心であるほか,周辺の米作地帯を控えて,米,チャ(茶),ナンキンマメなどの集散加工,絹織物,石鹸,ガラス,ジュート袋などの製造も行なわれる商工業都市である。1962年にはサフィード川に大規模なダムが完成した。バンダレアンザリー,テヘラン,タブリーズなどと幹線道路で結ばれ,空港もある。人口 55万7366(2006)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラシュト」の意味・わかりやすい解説 ラシュトらしゅとRasht イラン北部、カスピ海南西岸の都市。ギーラーン州の州都。人口41万7748(1996)、67万9995(2016センサス)。起源は不明であるが、16世紀末サファビー朝下で人口が増え、19世紀には米・生糸貿易の拠点として発展した。20世紀初頭のイラン立憲運動期には、市民が武装蜂起(ほうき)して王朝軍を破った。住民はギーラキーというペルシア語の一方言を話す。[岡﨑正孝] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
百科事典マイペディア 「ラシュト」の意味・わかりやすい解説 ラシュト イラン北西部の商工業都市。肥沃な平原と森林に囲まれ木工業が盛んであり,絹織物業の中心地でもある。南東約250kmのテヘランおよび北西約20kmのカスピ海岸エンゼリーに自動車道路が通じ,気候も温和であるところから夏の避暑地として有名。ギーラーン地方の主都で,イランの対ロシア貿易の窓口。1920年クーチェク・ハーンらの社会主義革命(ギーラーン革命)が起こった。63万9951人(2011)。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報