ラデック(読み)らでっく(英語表記)Karl Radek

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラデック」の意味・わかりやすい解説

ラデック
らでっく
Karl Radek
(1885―1939?)

ロシアの政治家。本名カロル・ソベルゾーンKarol Sobelsohn。ユダヤ人郵便局員の子として当時オーストリア領のリボフ(現、ウクライナ領リビウ)に生まれる。クラクフで法律を学び、1904年以後ポーランド王国・リトアニア社会民主党で活動、1908年ドイツに移住、ドイツ社会民主党で新聞の編集に携わった。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後スイスに赴き、ツィンメルワルト、キーンタール両会議に出席して国際的な反戦活動に従事したのち、1917年レーニンとともに「封印列車」でスイスを去り、十月革命後、ロシアに入国ボリシェビキ一員としてブレスト・リトフスク会議に参加した。1918年ドイツへ派遣されてドイツ共産党創立大会に出席したが、翌1919年逮捕され、ドイツから追放された。帰国後、1920年にコミンテルン執行委員会書記となったが、1927年トロツキー派として党から除名された。1930年、復党を許されて『イズベスチア』紙の国際問題の担当者となったが、1937年の粛清にあって10年の刑に処せられ、消息を絶った。

[松 俊夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラデック」の意味・わかりやすい解説

ラデック
Radek, Karl Bernardovich

[生]1883/1885. ガリシア,レンベルク
[没]1939?
ソ連の共産主義理論家。急進世界革命主唱者。本名 Karl Sobelsohn。ユダヤ人。共産主義運動のためロシア官憲に追われ,1903年スイスに亡命。次いでポーランドで革命運動に参加したのちオーストリアを経てドイツに入り,ドイツ社会民主党左派を組織した。第1次世界大戦中スイスで V. I.レーニンとともに活動,1917年 10月ペトログラード (→サンクトペテルブルグ ) に帰り対独講和交渉に参加。外務人民委員部の中欧局長となり,1919年ドイツ共産党創立大会に参加。 1919~24年党中央委員,1920~25年コミンテルン書記,執行委員会幹部会員。 1924年第 14回党大会の論争の際,トロツキー派に属して党中央委員を解任され,1927年党から除名。 1930年復党,『イズベスチヤ』紙外報部長となったが,1936年8月 G. E.ジノビエフ,L. B.カーメネフらのいわゆる合同本部事件に連座したとして,10月逮捕。 1937年1月の併行本部事件においても犯罪の組織と遂行に参与したものとして禁錮 10年に処された。 1939年頃粛清されたといわれるが,詳細は不明。主著ソビエト・ロシアの外交政策』 Vneshnyaya politika Sovetskoi Rossii (1923) ,『コミンテルンの5年間』 Pyat' let Kominterna (2巻,1924) ,『ドイツ革命』 Germanskaya revolyutsiya (2巻,1925) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

期日前投票

期日前投票制度は、2003年6月11日公布、同年12月1日施行の改正公職選挙法によって創設された。投票は原則として投票日に行われるものであるが、この制度によって、選挙の公示日(告示日)の翌日から投票日...

期日前投票の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android