改訂新版 世界大百科事典 「ラプラタ諸国」の意味・わかりやすい解説
ラ・プラタ諸国 (ラプラタしょこく)
南アメリカのアルゼンチン,ウルグアイ,パラグアイの3国を指す。ラ・プラタ水系(ラ・プラタ川)はアマゾン,オリノコと並ぶ南アメリカ三大水系の一つで,その支流にはピルコマヨ川,ベルメホ川,パラグアイ川,パラナ川,ウルグアイ川などがあり,その流域は上記3ヵ国のほかブラジル,ボリビアにも及んでいる。ただし,ブラジルはおもにアマゾン水系に属し,ボリビアはアンデス諸国との結びつきが深いので,ラ・プラタ諸国に含めないのが普通である。
ラ・プラタ川流域のヨーロッパ人による植民は,1516年ソリスによる探検によって先鞭がつけられ,36年メンドサがブエノス・アイレス市を建設したが,原住民との抗争から41年に放棄された。この間メンドサの部下のサラサールがアスンシオン市を建設し,以後ラ・プラタ地方の植民活動の中心地となった。そして,この地に生まれたクリオーリョ(クレオール)を多数含んだガライの遠征隊が南下して,1580年ブエノス・アイレス市を再建し,さらにブエノス・アイレス市から派遣された遠征隊が1726年にモンテビデオ市を建設し,バンダ・オリエンタル(現在のウルグアイ)の開発の素地をつくった。
このように今日のラ・プラタ諸国の植民は相互に関連しつつ進められたが,早くも植民地時代に地域間の相違・対立が顕著となりつつあった。パラグアイ地方は,農耕民で温和なグアラニーと白人との混血が進んだのに対し,ラ・プラタ川の下流域では,インディオが反抗的で白人との混血がほとんど進まなかったし,1617年にスペイン王室がパラグアイとリオ・デ・ラ・プラタ(ブエノス・アイレス)に分けて,それぞれに総督領を設置したことは,行政面で両地域を分離させる結果となった。さらに1776年,今日のラ・プラタ三国に加えてボリビアを含む広大なリオ・デ・ラ・プラタ副王領が設置されたことは,地域間の対立をむしろ激化させる原因となった。副王領の首都であるブエノス・アイレス市にラ・プラタ地方の排他的な通商権が与えられ,パラグアイやバンダ・オリエンタルの不満をかき立てたからである。この結果,両地域は1810年にブエノス・アイレス市で開始された独立運動を地域の自立化の好機ととらえ,パラグアイは早くも11年に独立し,バンダ・オリエンタルも,さまざまな紆余曲折を経て28年ウルグアイとして独立した。ボリビアも25年独立してペルーとの結びつきを深めていった。
このようにリオ・デ・ラ・プラタ副王領は4ヵ国に分かれて独立したが,それにもかかわらず独立後のラ・プラタ三国の間には同胞意識が根強く,一国内における対立が近隣に波及する傾向が強かった。たとえば19世紀前半のアルゼンチンにおけるロサス派と反ロサス派の対立はウルグアイではブランコ党とコロラド党の争いと直結し,パラグアイのF.S.ロペスは,みずからと似た政治傾向をもつウルグアイのブランコ党政府を支援して,アルゼンチン,ウルグアイ,ブラジルを敵に回すパラグアイ戦争(1865-70)に突入した。20世紀においても,ラ・プラタ諸国間の協力はたびたび試みられ,1969年4月にブラジル,ボリビアを含めた5ヵ国で調印されたラ・プラタ川流域共同開発計画は,この地域の調和ある発展と統合の推進を図っており,水資源に関する新しい地域協力として注目された。近年ではラ・プラタ3国とブラジルの4ヵ国が91年南米南部共同市場(メルコスール)設立条約を調印,95年から域内関税をゼロにするなど,発展途上国間の自由貿易ブロックとして注目されている。
執筆者:松下 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報